▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第48週
■ 今週のよその猫
■ 今週の筑豊境
今週、北九州市は寒かったが、晴れの日が続いた。下記天気図のように大陸の冷たい空気が朝鮮半島を経て、九州島に流れ込んできている。
■ 今週の柑橘
レモンを絞りました。
■ 今週のお弁当
庄や 松花堂弁当(google)。「松花堂弁当は、刺身が2種(マグロとブリ)、鶏唐揚げ、豚生姜焼き、ナポリタン、煮物、卵焼き、ご飯、味噌汁、お新香と豪華です」(google)。1,200円。
■ 今週のシンガポールの催し物
今週を含む2/15-2/28の期間、シンガポールではToatal Deenceという訓練が行われいる。国防演習だ。国防演習といっても今年はフィッシング攻撃の訓練だ。google 気づいた理由は、先週、この愚記事(And I told you there's no-one there)にアクセスがあったから。
▶学校や建物でフィッシング攻撃や停電の模擬演習を実施し、総合防御演習を実施
さて、シンガポールの国防記念日が2/15であるのは、我らが日帝がシンガポールを陥落させた日であるからだ。シンガポールいうまでもなく「原爆投下は必要であった」と主張するリー・クアンユーさんが国父の国だ。もっとも、シンガポールの建国は1965年であり、シンガポール陥落は1942年だ。
中央の日本人は杉田一次(左写真)。 「シンガポール」人による日本兵描像(右)
この投稿後、YouTubeのお勧めで出てきた。
■ 今週の「アメリカ真理教」信徒:ついに洗礼? 孫崎享さんの事例
トランプ氏、ロシアとの戦争は「ウクライナが始めた」と主張(google)
トランプ氏は「私にはこの戦争を終わらせる力があると思うし、うまくいっていると思う。だが今日、『我々は招かれなかった』という声を聞いた。あなたたちは3年もそこにいる。3年後に終わらせるべきだった。始めるべきではなかった。取引をすることもできたはずだ」とウクライナについて誤った主張をした。
トランプ大統領は、ウクライナのために「ほぼすべての土地を彼らに与え、誰も死ぬことのなかった」取引ができたと主張。「だが、彼らはそのようにしないことを選んだ」と結論付けた。 (ソース)
▼ おいらは長年疑問を持ってきた。かつて愚記事に書いた;
おいらは、外務省の人はみんな「アメリカ真理教」なのだろうと思っていた。10代の頃、岡崎久彦、『戦略的思考とは何か』を読んで以来だ。一方、あの孫崎享さんが岡崎久彦と同じポストの後継者と知って、????と思ったこともある。
なお、孫崎は「世界情勢の分析方法は岡崎久彦から学んだ」【岡崎久彦メソッド】と云っている(愚記事:孫崎享の正体;尊皇大使は米国の仕掛けで説明)。
そして、今週わかったよ。彼もやはり、「アメリカ真理教」信徒なのだ。そして、どうやら今回が洗礼らしい。
https://x.com/magosaki_ukeru/status/1892470512548286590
これまで、不信心者だけあって、その洗礼には莫大な活性化エネルギーが必要だったと、今回、わかった。つまり、孫崎さんに洗礼を授けるのは、ただの「アメリカ真理教」の神父さんじゃダメだったのだ。孫崎享が必要とした「神父」は、当然彼だった;
それにしても、この人↓が、陰の「アメリカ真理教」の神学者であったとは、お釈迦様にもわかるまい;
まとめ:孫崎享も和田春樹も「米帝」の手先であったとわかる。米ソ「連合赤軍」[1]=ヤルタ・ポツダム体制の21世紀版の<ヤルタ・ポツダム体制>の手先なのだ。
[1] 米ソ「連合赤軍」:
米国は防共国家であった満州国を認めず、チャイナ大陸の国共合作政府を支援し、ソ連と同盟し防共国家であった満州国を滅ぼした。国際共産主義への最大の貢献者は英米である。チャイナ大陸を中共にくれてやった。なお、今となってはソ連の北方領土占領のため米軍が上陸舟艇などを提供し支援していたことが明らかとなっている。米ソは「連合赤軍」であった。(愚記事)
■ 今週借りて読んだ本
今週借りて読んだ本(左端)と手元にあったので参照した本
高橋裕史、『イエズス会の世界戦略』。題名は世界戦略とあるが、広くてインドー日本でのイエズス会の活動、書かれているのは日本。イエズス会は南米でも活動しているが、この『イエズス会の世界戦略』では特に書かれていない。ただし、冒頭で映画『ミッション』(wiki)に言及している。日本でのイエズス会の活動はザビエルが来た1549年から江戸幕府の禁教令が出る1613年までの64年あまりの期間。
愚ブログは「耶蘇と毛唐に気をつけろ!」という狭隘な視点を持つブログだ。そういう前提で感想を書く。
この『イエズス会の世界戦略』は2006年の刊行である。そして、本書には「奴隷貿易」や「人身売買」という語句が一度も出てこない。ましてや、イエズス会が関与したことは明言されていない。さらには、日本に初めてキリスト教(以下、耶蘇 [ヤソ])を伝えたフランシスコ・ザビエルがユダヤ人虐殺者であったこと(google)は書かれていない。
現在ネットで「イエズス会 奴隷貿易」(google)で検索すると、相当の情報が得られる。中には、学術的なものも多い。特に、2021年に刊行された『大航海時代の日本人奴隷』(ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子)が引用されたネット記事が多い。なお、この本では、「明白に奴隷貿易にイエズス会が関与していたことが正面から論じられていない」と著者は主張する。そして、イエズス会の悪行を指摘すると、学術的でない形で「炎上」すると云っている。確かに、この本についてwikipediaでは、学術的に問題があると物言いをする人がいる。
この指摘をしている人がイエズス会関係者とはいわないが、奴隷貿易にイエズス会が関与していたことを否定、矮小化、責任転嫁する言説(日本人奴隷を売ったのは日本人だ!)はネットで確認できる。
ところが、今週知ったのだが、デ・ルカ・レンゾという日本二十六聖人記念館(公式web site)の館長であるイエズス会の神父が認めている;
カトリックのポルトガル人が経営していたマカオでも中国人と日本人が拉致され、奴隷として売られていたことは,残忍な人の考えのみならず、限られた人であろうとも、修道士のせいでもあったことを総長に伝えている。この箇所でリベラ神父は,アメリカ大陸の奴隷問題についてドミニコ会の意見や書物を参考に宣教師であれば誰でも知っているはずかのように述べられていることが注目すべきである。(イエズス会本部と長崎 〜長崎開港 450 年を振りかえって〜)
上記情報が本当であるなら、イエズス会の当事者も認め始めているらしい。もっとも、どこまでどう認めたが問題で、「イエズス会」らしい正当化が潜んでいるかもしれない。
さて、こういう昨今の状況ではあるが、2006年の高橋裕史、『イエズス会の世界戦略』には、「奴隷貿易」や「人身内売」という語句が一度も出てこないのだ。しかし、ここで気を抜いてはいけない。罠があるい違いない。だって、「イエズス会」だもの。もっとも、高橋裕史さんが「イエズス会」関係者であるかは知らない。でも、「イエズス会」を「人道に反する」恥ずべきものであって、そういうものが存在していることが信じられないという気分は持っていないとわかる。なぜなら、「現在の日本でイエズス会は、上智大学、エリザベト音楽大学、栄光学園、六甲学院、広島学院などでカトリック主義にもとづいた教育活動を展開している。イエズス会は創設時の頃より学術研究を主要な活動領域の一環としていたわけであるが、(以下略)」と肯定的に述べているからだ。おいらは、日本に来る前にインドのゴアで逃げていたユダヤ人を捕まえて火あぶりにし、日本に来てからは、武器商人、人身売買で稼いでいた人たちの組織というのは400年早く現れたナチスだと思い、ゾッとし、さらには、こういう組織を再興して、さらには関与する人が現代日本にもいるのだという厳しい現実は、世の中にはいろんな人がいるんだよと世間知らずだったおいらにとって、とても勉強になった。最近のおいらにとってのイエズス会ビンゴは、田中耕太郎だ。おいらの脳内では「イエズス会の非公然部隊が日本で活躍」なのだ。
しかし、ここで気を抜いてはいけない。罠があるい違いない、に戻る。
巡察師ヴァリニャーノの日本報告について、高橋裕史は評している;
ヴァリニャーノ自身が「この[日本という]地が有する多様性と特質は、ヨーロッパでは禁じられたり非合法的なものとして位置づけられたりしている数々の事柄を、合法的で不可欠なものとしている」と記しているように、日本の特殊性を総会長以下のイエズス会首脳に広く理解してもらい、たとえば批判の対象となっている在日イエズス会たちの行動の「正当性」を巡察師として立証し、弁護する必要があったからであろう。p95-96
ここで、「ヨーロッパでは禁じられたり非合法的なものとして位置づけられたりしている数々の事柄を、合法的で不可欠なものとしている」ものとは人身売買のことではないか。ヴァリニャーノ自身が人身売買に言及しているとは高橋裕史さんは報告していないし、このヴァリニャーノの文章が人身売買のことを云っているという解釈を高橋裕史はしていない。ただし、今、「高橋裕史さんにあなたの2006年の本にはイエズス会の日本での人身売買に言及していませんね」と問いただすと、「いえ、ヨーロッパでは禁じられたり非合法的なものとして位置づけられたりしている数々の事柄を、合法的で不可欠なものとしているとは人身売買のことです。私は、2006年に非合法活動を無視していません」と答えられる。
さらに、高橋裕史さんが人身売買、奴隷貿易に言及していないことについて、この本(『イエズス会の世界戦略』)では、イエズス会が携わった貿易について、「各種の貿易であるが、この問題については、高瀬弘一郎氏による、一連の広範な研究がその実像を詳細に明らかにしているので、ここではその主要な概要をまとめるにとどめておきたい」(p163)と書いている。つまり、人身売買、奴隷貿易は既に先行研究が言及しているので、言うに及ばずとしているとおいらには受け取れる。のちに、高橋裕史さんは「私は、決して、イエズス会の人身売買、奴隷貿易を無視していません」と云えるのだ。さて、この論理のためには、ひとつ確認する必要がある。すなわち、高瀬弘一郎がイエズス会の人身売買、奴隷貿易を学術的に認めていることである。註の高瀬弘一郎の文献が手元にはないので、ググってみた。少なくとも、2011年の『大航海時代の日本』には「奴隷を正当化するキリスト教徒」とあり、人身売買に言及している(ソース)。ただし、イエズス会の関与はこのソースにはないようだ。もっとも、「奴隷を正当化するキリスト教徒」とあるが、これは公然のことであった。ローマ時代からアメリカ合衆国まで奴隷は存在し、カトリックは承知であった。さらには、イエズス会自身が19世紀でも奴隷売買を米国で行っていた(愚記事)。
▼ 下、豊後、都
人殺し。
昨年末、大分市に行った。それまで、この地が内府と呼ばれてたことも、大友宗麟の領地であったことも、そして、フランシスコ・ザビエルが滞在したことがあるとは知らなかった。ただし、フランシスコ・ザビエルがユダヤ人を火あぶりにした人殺しであることは知っていた。なお、大分駅前で耶蘇坊主の像を見た時、宣教師なんだなろうなと思ったくらいで、誰だか知らなかった。宗麟の近習の耶蘇坊主ぐらいに考えていた。家に帰り、ググってしった。
当時、イエズス会の日本での活躍地域は、下、豊後、都であったと高橋裕史、『イエズス会の世界戦略』に書いてあった。下とは長崎地域、豊後は大分、そして、都は京都だ。
豊後は大友宗麟が集団改宗を行い、信徒が1万人を越えた。大友宗麟は、ポルトガル国王、教皇グレゴリウス13世から親書を受けるほどの交信があった。日本イエズス会の威信を示す「対外的名望の地」であったと『イエズス会の世界戦略』は云う。
1580年、臼杵に修練所、1581年、府内にコレジオ開設。1580-1587年、6か所のレジデンシア設立。
1586年 島津義久の軍が豊後に攻め入り、豊後のすべての教会と施設を破壊。
1587年、宣教師(バテレン)追放令(豊臣秀吉)
1587年、 豊後浦辺でペトロ岐部が誕生。
1588年、教皇シクスト5世は、府内に司教区を設立。
1589年、大友吉統、宣教師(バテレン)追放令
1587年の秀吉の九州平定で、イエズス会の豊後地区は衰退、事実上消滅、とのこと。イエズス会なきあとの豊後の耶蘇運動状況 ➡ 豊後のキリシタン小史
■