いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

「リベラル」の非(反)韓性、あるいは、自国中心主義

2015年11月29日 18時23分22秒 | 日本事情

安全保障関連法案(彼らがいうところの”戦争法案”)に反対する人たちを、ここでは一応、「リベラル」とよぶことにする。

その「リベラル」のみなさんは、今後日本が海外で自衛隊員が死ぬこと、そして、自衛隊員が他国人を殺すことを懸念している。

そして、安全保障関連法案の先には徴兵制の制定があり、そうなってはこの世はお終いだ、というお話を流布していた。

さらには、戦後日本は海外の戦争で死者を出していないことを「誇る」という人も多い。この「平和主義」が日本の「国家ブランド」だとおっしゃる。

こういう「思想」を"日本的「リベラル」思想"としよう。 

ところで、この"日本的「リベラル」思想"に照らして、その国のあり方、生き方が全く違うのが韓国である。韓国は米軍のために海外派兵し、戦死者を出し、さらには、戦場で民間人を殺し、女性を強姦したと伝えられる(ベトナム戦争)。もちろん、韓国は、徴兵制である。

つまり、日本「リベラル」派があってはならないと想定する悪夢が、韓国では現に起こっているのである。

そうであるならば、今度安全保障関連法案が成立すれば、韓国みたいになるぞ!と主張すればいいのではないか?

でも、しない。ヘイトスピーチのネトウヨの嫌韓と似てしまうからなのか?

実際、戦後日本は海外の戦争で死者を出していないことを「誇る」ということは、自国中心主義である。

"日本的「リベラル」思想"に照らして考察すると、海外で戦争し、あまつさえ徴兵制の韓国は、韓国人が自国を"誇る"ことができない国ということになる。平和ブランドを持たない「戦争国家」(「リベラル派」的神経で命名すれば)だ。

もちろん、これはひどい韓国に対する蔑視であり、われらがネトウヨも顔負けである。

▼ 韓国人の愚痴;

ソース:現在この朝鮮日報の元記事は会員限定の御蔵入り::
Google [日本を偏愛する米国、韓国にも戦略的価値に見合う待遇を:日本は米国のために一滴も血を流さなかった、米国はそんな日本を偏愛し続けた]

共振する日本的「リベラル」思想と日帝の節操・未練

戦後70年、「日本は米国のために一滴も血を流さなかった」という史実は重要である。正確にいうと「日本は米国のために"日本兵の"一滴も血を流さなかった」。もっとも、日本は血は流さないが、基地提供(含むメンテ)という最重要の貢献はしていた。つまり、「これはやくざには絶対ならないが、やくざに金を払って自分の安全と利権を確保する成金と同じ神経である」(愚記事)。だから、戦後日本は戦死者ゼロというのはそんな自慢にならない、とおいらは思う。そして、条約の文言はともかく、素朴・直観的に考えて、相手国のために自国兵が血を流すことが同盟の「定義」である。この素朴的定義に照らして考えると、日米は一度も同盟関係であったことなどないのだ。そもそも、仮面の日米同盟!に他ならない。米英撃滅を目的とした大日本帝国の敗残者としては、旧敵とみだりに馴れ合わないというは、敗残者のせめての「誇り」ということができるかもしれない。そして、この「日本は米国のために一滴も血を流さなかった」という史実は、この敗残者のせめての「誇り」に寄与しているではないか!

決して日帝軍事冒険主義者ではなかった吉田茂(愚記事;元祖バカサヨ)とその後継が、マッカーサー憲法を盾に、対米軍事協力を拒否したことの史実の皮肉さは面白い。吉田茂は、「日本は米国のために"日本兵の"一滴も血を流さない」と決断し、実行した。元祖バカサヨ(愚記事)こそが、日帝の節操 (米英撃滅といったからには、敗戦後も協力できない) を保っているのだ。

それを示したのがこの画像だ(!!!???);


復員兵の娘(1955年生まれ)が、"死に損ない"の日帝兵士だった父の出征の寄せ書きを持って。
占領軍兵士により保管されていたとのこと。



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