▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第414週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の草木花実
■ 今週の「テロ」被害者遺族
塙 保己一(1746-1821)は、息子の塙 忠宝(ただとみ 1808-1864; wiki)を暗殺で失う。もっとも、保己一の死後ではあるが。殺害者は伊藤博文、山尾庸三。関連愚記事:「人殺しの伊藤君、人に殺される」
塙保己一史料館。 都内渋谷区東
1927年にできた鉄筋コンクリート製建物。戦前のモダニズムですね。先日のブログの小石川植物園、共同印刷、麻布の連隊、朝香宮邸、旧聖蹟記念館と一連の鉄筋コンクリート製建物と同時代。
■ 今週のノーマスク
麻布十番のきみちゃんがマスクをしていなかった。
■ 今週のよその猫、あるいは、ウエスタン・インパクト(西洋の衝撃)と融合、はたまた、《隠毛唐》
竹内栖鳳(せいほう)、《班猫》(部分)、1924. 実物を撮影
近代京都画壇の中心的存在として活躍した竹内栖鳳(せいほう) (1864-1942)。栖鳳は、円山・四条派の伝統を引き継ぎながらも、さまざまな古典を学びました。1900(明治33)年にパリ万博視察のため渡欧、現地の美術に大きな刺激を受けた栖鳳は、帰国後、西洋絵画の技法も取り入れ、水墨画など東洋画の伝統も加味して独自の画風を確立し、近代日本画に革新をもたらしました。栖鳳の弟子・橋本関雪(かんせつ)によれば、動物を描けばその体臭まで描けると栖鳳自身が語ったというその描写力は、高く評価され、今なお新鮮な魅力を放っています。また優れた教育者でもあった栖鳳は、多くの逸材を育て、近代日本画の発展に尽くしました。
竹内栖鳳(せいほう)は、元は、竹内棲鳳(せいほう)と名乗っていた。それが、下記事情で改名;
1900年(明治33年)、8月1日神戸を出帆、36歳の時に、パリ万博で『雪中燥雀』が銀牌を受け、視察をきっかけとして7か月かけてヨーロッパを旅行し、ターナー、コローなどから強い影響を受けた。1901年2月25日帰国後、西洋の「西」にちなんで号を栖鳳と改めた。(wikipedia)
つまり、伝統的な日本画家であったが、近代西洋画に出会い、その画風が影響を受けたとのこと。上記、《班猫》もその「転回」の結果。西洋の衝撃と融合(google)の結果らしい(関連愚記事)。
■ 今週の「肩をポンとたたく」、あるいは、メリトクラシー派の退場
チャイナ共産党は父祖が党幹部であった「太子党」系人材と試験で大学に入り党の一員となって出世した共青団系の人材に大別されるとされる。アリストクラシーとメリトクラシー。今回の人事で、共青団系の人材が皆引退、降格した。中国共産党大会の閉幕式(google)
■ 今週のアクセスページ
裁頭された長ねぎ; truncated Welsh onions
市倉宏祐さん関連でアクセスがあったのだろうか?
■ 今週の<「インド」のイギリス支配>
スーナク氏は、過去200年以上で最も若いイギリス首相。インド系イギリス人のヒンドゥー教徒で、イギリス初の南アジア系首相となった。下院初当選から7年での首相就任は、現代イギリスで最速。(ソース)
イギリス初の南アジア系首相というばかりでなく、非白人=ユダヤ人を除くとして初めて(google)。
「イギリスのインド支配」から、169年。
Graecia capta ferum victorem cepit ! 直訳は、「捕らえられたギリシアは、野蛮な勝利者を捕らえた」(山下太郎のラテン語入門 様より)
寓意は、ローマは武力でギリシアを征服したが、ギリシアの文明・文物は逆にローマを征服した、です。この意に沿って今回のインド系イギリス人スーナク氏(wiki)の英国首相就任の「武器」は、金融、らしいです。
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