いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

散歩;横浜(こどもの国駅)⇒川崎(岡上) ⇒ 町田(野津田公園)

2020年05月10日 15時05分39秒 | 武相境

東急電鉄、こどもの国駅から、小田急鶴川駅を経て、野津田公園まで散歩。見どころは、歩いてしか超えることができない、玉川台団地から川崎岡上の谷(和光大学がある谷)へ抜ける経路を散歩したこと。


図1. 1;東急電鉄こどもの国駅(横浜市青葉区)、2;小田急線鶴川駅(東京都町田市)、3;野津田公園(町田氏)、a;玉川学園台団地、b;岡上の和光大学のある谷、Z;河岸段丘(立川面)

■ 半世紀前の当地; 谷戸の時代

今回の散歩経路は50年前は谷戸の発達した丘陵地帯。今では地形が違う。下記画像は1960年代前半の航空写真。谷戸が見事です。これらをことごとく潰して今に至っています。


1;こどもの国駅、2;鶴川駅、3;玉川学園駅


現在

■ こどもの国駅 ⇒ 玉川台団地 ⇒ 川崎市岡上入口

こどもの国駅。ひつじでんしゃ。


戦前からある建物。

▼ 玉川学園台団地

玉川台団地の奥、縁。階段で尾根に登ります。


玉川台団地を振り返ってみる。


尾根。横浜市ー川崎市境。

尾根から下へ降ります。川崎市岡上地区へ入ります。

■ 川崎市岡上へ

川崎市岡上は飛び地。東京都町田市と神奈川県横浜市に囲まれている。この岡上の南は横浜市の玉川台団地、東は町田市の三輪緑山の団地であり、これらの地域は谷戸を潰して宅地造成している。地形が完全に変わってしまっている。一方、岡上地区は造成は行われていない。岡上地区は尾根で東西に分かれている。農地となっている東地区と、現在和光大学がある西の谷。下記図2を参照。


尾根から岡上に降りる道はほとんど獣道(けものみち)。


図2. ① 玉川学園台団地、②和光大がある谷
下のつは同地域の航空写真;左(現在)、右(1960年代前半)


道幅は広がったが、急傾斜。 降りる。


谷の底に着いたようだ。

谷を降りていくと、川崎市的(!)集合住宅。初めて出くわしたこの時点は何だかわからなかった。近づくと、しばらくして、和光大学の寮とわかる。

たまさか今も教員として教えているキャンパスには当時、八〇年代だというのにまだ、大学内の目抜き通りには様々な党派、そしてノンセクトのタテ看(死語だろうが、立てて見ることができるベニヤ板のボードに模造紙を張り、それぞれの主張がマジックで書かれている)が林立していた。(上野俊哉、『思想家の自伝を読む』)

この日の散歩、この谷に降りてくることを狙ったわけではなかった。和光大学。ここにあると初めて知る。和光大学は行政境界では町田市側とのこと。上記寮は川崎市。

おいらは、和光大学の名は岸田秀の勤め先ということで高校生の頃から知っていた。和光大学って、埼玉県の和光市にあるのだろうと、なんとなく勝手に思っていた。武相境に越してきて、こちら方面にあることを知った。針生一郎がいた大学だ。1974-1996年にいたとある。今、wikiを見ると、笠井潔がいたとある。

■ 和光大学の谷 ⇒ 鶴見川 ⇒ 鶴川駅



鶴見川を渡る小田急線列車。

鶴川駅付近

コロナ禍で出動できないようです。

小野路交差点。鎌倉街道。

■ 野津田公園

サンシティ町田前。

おしまい

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。