いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

本牧平地散歩;JR石川駅→山手トンネル→本郷町→ワシン坂→十二天→旧Area-1→新本牧公園

2020年07月19日 14時44分53秒 | 東京・横浜

本牧は行ったことがある(本牧台地散歩;「帰って母に聞いて、日本がアメリカに負けたことを知りました」)。その時は、本牧台地より海側の低地を通って、本牧に向かった。最近、横山剣が「ワシン坂を下りると米軍のエリア1(ワン)」と云っているのを見た(YouTube)。米軍のエリア・ワンというのだから、これは何かオキュパイ・モノだろうと思った。ワシン坂も知らなかった。ネットで調べると、ワシン坂やエリア・ワン(AREA-1)がわかった。ワシン坂から本牧へ出るという経路で散歩することにした。

1;JR石川駅、2;麦田街、3;聖坂、4;ワシン坂、5;本牧十二天、6;イオン本牧店、7;新本牧公園

■ JR石川駅 ⇒ 麦田町

■ 本牧通の本郷、上野 ⇒ 見晴トンネル入口南側交叉点左折(台地方面へ) ⇒ 千代崎町 ⇒ 聖坂

台地の最高地の尾根を縦走する道に登り上がる。

■ ワシン坂公園

■ ワシン坂上 ⇒ 台地の海側の海食崖上縁の尾根 ⇒ ワシン坂病院 ⇒ ワシン坂入口

 

占領時代の地図、1949年。ワシン坂は East Bluff Road [東崖道路] と呼称されている。かつ、ワシン坂の道が主要道路となっている。海岸側の低地の道は主要道路ではない。


凡例

■ ワシン坂入口 ⇒ 小港

1982年まで続く接収時代の本牧についての記録で出てくるモーリス商会。この日、画像を撮り忘れたのでGoogleから。1982年のモーリス商会→https://hama80s.exblog.jp/17916140/ 。この自動車修理会社は米軍住宅居住のアメ車をもった顧客相手に商売していたのであろう。


左;1948年地図、右;現在、赤丸=山手警察署前T字路、八角形=イオン本牧

ワシン坂を下りて、旧接収地域、レコンキスタ地域に入る。

旧接収地域は返還後計画的に都市開発をしたらしく、非接収地域(ワシン坂入口付近の雰囲気)とは違う。

■ 本牧十二天


左;現在、右;敗戦後。埋め立てで埠頭ができる前。


占領期のAREA-1。敗戦時、本牧十二天は海岸にあった。右上に本牧十二天が見える。


敗戦時。図中やや左上に本牧十二天が確認できる。

■ 本牧十二天 ⇒ 本牧和田

 

AREA-1の名を今に残す唯一のもの。


イオン本牧付近

▼ 本牧和田


1970年代の航空写真。米軍住宅地区と日本の住宅地区の疎密状況がよくわかる。


返還後、宅地にして分譲したらしい。そして、密な住宅地へ。


高々樹齢40年のメタセコイア

<まとめ>

・ワシン坂付近(非接収地域)は昭和の雰囲気残存。ワシン坂病院の鉄格子はすごい。

・接収地域は再開発で緑が多く、整然。

・オキュパイもの(占領時代の残存物)は全くない。

 



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