2015年3月13日(金)、宮城県美術館で開催の「針生一郎と戦後美術」を見物するため、おいらはJR仙台駅から歩いて仲の瀬橋を渡った。その日、新幹線から見た仙台は雪がちらついていた。
歩いて宮城県美術館に行く前に、まずは、センチメンタルジャーニーだ。旧仙台八重洲書房跡地をお参りした、昭和の成仏のために。
(仙台)八重洲書房;伝説の本屋だ。 なお、なぜ(仙台)八重洲書房と表記するかというと、東京駅八重洲口の大型書店の八重洲ブックセンターと区別するためである。両者は関係ない=支店ではない。ググるとこうなる⇒ Google[仙台八重洲書房]。
おいらが仙台に来る頃だっただろう、ビートたけしがラジオで、「おまえたちは、おいらと同時代を過ごしただけでも、ありがたいと思わないといけない!」と言っていた。その超自大=事大主義的発言には少し驚いた。歴史に出会っている時、そのことは分からないのである。そして、おいらは、今となっては、 あの仙台八重洲書房に行ったことがあるということが「歴史」に立ち会っていたのだ!と思わざるを得ない。
まだ、本屋が情報メディアとしての意味があった時代のことだ。昭和末期だ。
おいらが仙台に来てまもなく、仙台でもバブル期となり、仙台八重洲書房は仙台ビブレ地下に移転した。売り場面積も増大した。
■ 仲の瀬橋
仲の瀬橋は広瀬川を跨ぐが、同時に河岸の低地の河岸段丘面をも跨ぐのである。 この道を真直ぐいけばこの風景に出合た。でも、おいらは、橋を渡ったあと180度反転し、坂を下った。なぜなら、センチメンタルジャーニー的猫のパトロールをしなければいけないからだ。
仲の瀬橋を渡って、振り返った風景。仲の瀬橋が跨いだ、低い土地:そこにはちゃんと街がある:。
低い土地の街はよく昭和を保存している。
昭和の食堂;養ちゃん食堂:Google[養ちゃん食堂]。少なくとも30年前はあった。
おいらは「昭和の成仏のために」シリーズをやっている。
でも、今日は、生き仏を参拝だ。 昭和の生き仏のために!
半チャン&ラーメン ¥750
ごめんなさいね、おいら見ちゃったの。養ちゃん食堂のどんぶり。店の電話番号が昭和の桁で書いてある。
■ 昭和の生き仏のために; 仙台川内、高林
灯油を買いに来た青年。
30年前おいらは上記養ちゃん食堂に行ったのは1回あるかないかである。記憶はおぼろげにあるのだが、はっきりしない。当時のおいらは、その後もずっと、自炊派である。外食で750円っも使うなどとは信じられない。なぜなら、もし700円もあれば、豚肉が700g買えるのである。エンドーチェーンに行けばいいのだ(今2015年じゃ、ないらしい)。700gは食いきれない。
そんなおいらが当時、卵を1個1個買っていたのが、養ちゃん食堂の斜め前にあった、そして今もある、高林だ。高林はたまごをバラ売りしていた。当時の贅沢の臨界は「三つ葉」を買えるかどうかだった。卵は1個10円で買えたが、三つ葉10円分は売ってくれなかった。みつばは足が早く、ひとり暮らしの食材には不向き。これは冷蔵庫の問題とは関係ない(今では術が発達しているらしい⇒便利★三つ葉を冷凍保存 つくったよレポート)。三つ葉はいい。たまご丼に三つ葉かかしわか、と選択を迫られたら、おいらは、三つ葉。たまご丼への三つ葉の有無が贅沢の臨界だった。
その高林へは灯油を買いにきた。ポリタンクを持って。そんな30年前の”おいら”を見た。
30年変わらない仲の瀬橋下の風景を確認した。