いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

1951年4月16日朝7時、離日時の「マッカーサー元帥万歳!」について

2018年08月01日 19時48分29秒 | 日本事情

愚記事に「1945年敗戦時、共産党出獄組の「マッカーサー元帥万歳!」について」というのがあってコンスタントにアクセスがある。

ところで、さっき知った。解任されたマッカーサー元帥が日本を離れる時、吉田茂率いる自由党の増田甲子七幹事長が静寂を破って「マッカーサー万歳!」と言い、みんなの「万歳!」という"声がわきあがった"らしい。

そのことのエビデンスは;

 マッカーサーが帰る日は大変な人出でした。池田(勇人)さんも見送りに行くので、私も羽田の飛行場まで一緒に行ったんですが、大変な人出でした。
 しかしどう言うんでしょうか、みんなシーンとしてマッカーサ―がタラップを上がっていくのを見ていたんですが、誰かが「マッカーサー元帥万歳!」と言ってしまったものだから、しょうがない、みんなが「万歳!」と言ったことを覚えています。たぶん言った人は増田甲子七(かねしち)さん。幹事長ですね。
(『聞き書 宮沢喜一回顧録』 御厨貴、中村隆英 編)

この時の状況の描写は翌日の朝日新聞でも見られる;

ただし、「バンザイの声がわき上がった」状況の詳細は宮沢証言でわかった。

なお、増田 甲子七とは;

増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10月4日 - 1985年(昭和60年)12月21日)は、昭和戦後期の政治家。吉田茂の側近として、運輸大臣、労働大臣、内閣官房長官、自由党幹事長などを歴任。

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