▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第4週
今週、一気に葉が出てきた。よかった。
先週
■ 今週のよその猫
■ 今週の筑豊境
■ 今週の草木花実
この花はバクヤギクというとこの方のブログ記事で知る。
■ 今週の半額、あるいは、おフランス風:フランソワ
みたらし団子 web site
株式会社フランソアとは、焼きたてパンの卸販売事業の嚆矢となった企業である、とのこと [wiki]。
■ 今週のスペイン産
安売りのスペイン産白にんにくを買ったら、腐っていた。
合水合同会社:事業内容 地中海産野菜の輸入業
■ 今週の初めて見た、あるいは、地域限定
「ポンスケ」という名前を印象深く感じた。「ポンスケ」とは「バカ!」とはいえないとき、代替に使う言葉とおいらは受け止めている。
「ぼんち揚は大阪のぼんち株式会社が製造している、あのちょっと甘くてしょっぱい揚げせんべいです。」
■ 今週の似た者(経歴)、あるいは、語学学校
大林ミカという内閣府の再エネ関連のタスクフォースのメンバーだった人が、彼女の資料に中国の国営送配電企業である国家電網公司のロゴが「透かし」で入っていたという問題を起こした。中共の工作員だろうと我らがネトウヨ界隈では大炎上。何より、再エネ関連のタスクフォースのメンバーでありながら、専門家としての経歴や業績が特に認められないことが炎上に油を注いでいる。その経歴がとりざたされている。そして、その経歴を見ると、あの人に似てるではないか!!!
諭吉:大分県中津市「出身」(生まれは父の赴任先の大坂)。(血統的)日本人(近代日本初の偽毛唐?)。語学学校(適塾 [wiki])を「卒業後」、徳川幕府での「非正規」構成員勤務(海外出張数回)を経て、1868年に「塾」を開く。
■ 今週の煮たもの
かつ煮定食
■ 先週からの日本事情、あるいは、ボッチに寄り添う
岸田首相4/8-4/14の訪米。国賓待遇で、米議会でも演説したらしい。
岸田総理大臣は「ほぼ独力で国際秩序を維持し、孤独感や疲弊を感じているアメリカ国民に語りかけたい。アメリカは助けもなくたったひとりで国際秩序を守ることを強いられる理由はない」と述べたあと、「自由、民主主義、法の支配を守るのは日本の国益で、人権が抑圧された社会を私は子どもたちに残したくない。日本はすでにアメリカと肩を組んでともに立ち上がっている。アメリカはひとりではない。日本はアメリカとともにある」と訴えました。(ソース)
「日本はすでにアメリカと肩を組んでともに立ち上がっている。」=I am here to say that Japan is already standing shoulder to shoulder with the United States. shoulder to shoulderって、「肩を並べて」ではなく、「肩を組んで」だと知る。(Full text of Japanese Prime Minister Kishida's speech to U.S. Congress)
Google [shoulder to shoulder]
とすると、これはshoulder to shoulderではないらしい;
1945年
▼ その後、こういう報道と解説(元駐米大使 杉山晋輔)もあった;「肩と肩を並べて」
https://www.youtube.com/watch?v=7iPTkKMzoM0
▼ 一方、自衛隊と米軍との連携について新展開とのこと。指揮統制の向上 [google]。
1951年 米兵と「ジャップ警官(警察予備隊員)」(these Jap policeme)、札幌
これもshoulder to shoulderではないのだ。
「第三次世界大戦では、これらのジャップ警官は同盟した日本軍の中心となるに違いないとの憶測がある。」
There has been speculation that in event of World War III these Jap policemen will be the nucleus of an Allied Japanese army(出典)札幌に駐屯していたオクラホマ州兵を取材した新聞記事より
日米共同訓練が始まったのは1981年。43年経つ。今の人は随分長い歴史があると思うかもしれない。でも、米軍が日本に来て79年。自衛隊(その前身の警察予備隊)が出来て74年であることを考えると、かならずしも日米共同軍事行動の歴史は原初から当然視されたものではなかったはずだ。そもそも自衛隊の前身の警察予備隊は当時の軍事独裁占領政権の最高権力者のマッカーサー元帥の命令で創設された。朝鮮戦争が勃発し米軍が出動しなければならず、占領地日本の「軍事力」が手薄になったことへの場当たり的対応であった。だから今でも憲法とのことが問題となっている。<マッカーサー憲法>と<マッカーサー軍隊>が整合的ではないのだ。ただし、両者の生みの親は同じ独裁者だ。彼から整合性のない施策が実施された結果だ。マ元により非武装化された日本におきたことは、米ソ連合国(スターリンと米国が同盟した「連合赤軍」)の仲間割れだ。連合国の仲間割れの結果、マ元の命令でできたのが、警察予備隊・自衛隊である。つまり、建軍の精神はマ元にあるのだ。
ところで、日米首脳間での「日米同盟」の誕生は1979年であり(ジミー・カーター=大平正芳)、1981年には日米共同声明に初めて「日米同盟」の言葉が出現(ロナルド・レーガン=鈴木善幸)[1]。ただし、これには軍事的意味は含まれないと鈴木首相が言明し、紛糾。伊東正義外相が辞任した(ふたりめのまさよし)。それくらい、日米の軍事協力には抵抗があったのだ。それでも、1981年に日米共同訓練は行われたのだ。
[1] 一九八一年五月に行われた日米首脳会談をめぐる閣内不統一に関する質問主意書
そもそも、軍事裁判の制度がなかったり基本的な軍隊の法的整備が不十分な、つまり軍隊ではない自衛隊と軍隊の米軍がどうやって共同作戦を行うのか不思議だ。日米共同訓練は進化しているらしい: 進化する日米共同訓練
進化の方向。なぜ日米の防衛協力の進化が統合の方向に行くのだろうか?そもそもポツダム宣言には「十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ連合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ 」とある。平和を目指す責任ある政府ができた場合、占領軍は撤収する約束である。それを受けて自民党は「世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。」と1955年に宣言している。米軍が日本から去ることが原則だ。当然、改憲して日本軍の創設が必要だ。この米軍撤退と日本軍創設を1955年以来実行していないのが、自民党。できないので、在日米軍に縋って生きながらえているのが戦後日本。縋っているので、いろいろいうことを聞かないといけない。みかじめ料=思いやり予算も払わなければいけない。靖国参拝も遠慮だ。そして、今度は米軍の外征のお供となるかもしれない。
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