いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東京散歩;武蔵小杉駅 ⇒ 豪徳寺駅

2019年06月09日 15時44分53秒 | 東京・横浜

武蔵小杉駅(神奈川県川崎市)[JR南武線、東急東横線]から豪徳寺駅[小田急小田原線]まで散歩した。今まで多摩川の大きな橋として、新二子橋(該当ブログ記事)、多摩水道橋(該当ブログ記事)を渡る散歩をした。でも、下流の丸子橋はまだ渡ったことがないので、今回行くことにした。

 


元図(松田磐余、『江戸東京・横浜の地形』より)
赤丸=出発地点の武蔵小杉駅、緑丸=終点の豪徳寺駅。
武蔵野台地はその中にいくつかの「台」を持つ。その「台」は形成時代が異なる。
図中の「田園調布台」、「荏原台」、「淀橋台」はその地形の表面が下末吉面(図中でS)である地域。
大きく下末吉面をもつのが多摩川の南側の「下末吉台地」。これら下末吉面をもつ台、台地は東京ー横浜地域で最も古い地形的まとまり。約10万年前に形成されてから、ずーっとあり、風雨にさらされてきている。
元もと「田園調布台」、「荏原台」、「淀橋台」は一体の台地であったはずだが、(古多摩)川に開析され分断されて今に至っている。つまり、「田園調布台」、「荏原台」、「淀橋台」は生き残りということ。その中で、「田園調布台」は小さい台。かすかに生き残っているのだ。今日はその「田園調布台」を通って散歩する。

■ 武蔵小杉 ⇒ 多摩川渡河(丸子橋)⇒ 多摩川台地公園

 


北上。


多摩川を目指して、ひたすら北上。


多摩川河川敷の通りに出る。


振り返って、武蔵小杉をみる。


丸子橋。


黄色○:散歩ルート。
田園調布台は南北に大きな開析谷ができている。図中Aの左右。
多摩川台公園の多摩川側の崖は国分寺崖線の末端とのこと。
田園調布は駅の西側は放射道路と円周道路からできている。地図でわかる。そして地形的には駅の周辺のみが平坦で駅から離れると傾斜がある。その傾斜は台地に刻まれた谷すじ(図中Aの左)へ向かっている。

■ 多摩川台公園を出たあと ⇒ 田園調布 ⇒ 環八


傾斜しているこの地域の特徴を使って公園としている。


放射状道路。


円環道路。北 or 田園調布駅から離れるに従い低くなっている=坂道。

■ 環八 ⇒ 奥沢 ⇒ 自由が丘


東急目黒線を渡り、北上。


自由が丘。生まれて初めて来た。


東急大井町線。


自由が丘駅。このあたり地形区分は氾濫平野 or 谷底平地(=河川の氾濫により形成された平坦地または過去の海底が陸化した平坦地)とのこと(ソース)。


ひたすら北上。

■ 自由が丘 ⇒ 八雲・太鼓坂 ⇒ 駒沢公園


目黒通りを渡り、北上。


八雲三丁目から北を望む。大きな谷がある。坂を下り、そして登らないといけない。太鼓坂。


呑川緑道。太鼓坂の最底辺=谷底。この谷底を流れていた呑川を暗渠にして、緑道にしたらしい。


太鼓坂の北側坂を登り切り、振り返る。


北上し深沢へ。樹木に覆われた御屋敷を見る。帰って、ググって、上から見た↓。


駒沢公園に入る。


自由が丘ー駒沢公園付近の地形。自由が丘は低い(相対的に)土地にある。
自由が丘より下(南)の地域は「田園調布台」。一方、駒沢公園は「荏原台」となる。
「田園調布台」と「荏原台」の間に武蔵野面の地域があるはずだが、どこなのか詳細がわからない。
自由が丘がある相対的に低い場所が武蔵野面なのかわからない。
それにしても、おいらが初めて来た自由が丘は「窪地」にあると知る。麻布十番かってかんじ。

■駒澤公園 ⇒ 駒澤1丁目、首都高3号線交差点付近


駒澤公園を出る。駒澤大学。


案内、でかい。

■ 駒澤 ⇒ 世田谷駅 ⇒ 豪徳寺 ⇒ 豪徳寺駅


北上。


世田谷駅。


豪徳寺。

招き猫のところは人が数人したが、みんな華人さまたちだった。


北上。


東急世田谷線。

■ まとめ

通過町;

神奈川県
川崎市 新丸子東、新丸子町、丸子通、上丸子天神町
<多摩川>
東京都
大田区 田園調布、玉川田園調布、奥沢
目黒区 自由が丘、八雲、
世田谷区 駒沢、鶴巻、世田谷、豪徳寺



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