三毛(みけ)ちゃんの三は、三越のみつです。
▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第347週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週のメタセコイア
■ 今週の草木花実
■ 今週の疎水、撥水、表面張力
■ 今週の表示
バスのフロントに「視る」の表示。他に、着席というのを「視」た。
■ 今週の百歳、あるいは、日大か法政か?
中国共産党 100 年式典 (google)
コミンテルンのテコ入れで中国共産党ができたのが1921年。最初の大会は上海で7月23日に行われた(愚記事:97年前の今日 (1921/7/23)、上海で中国共産党発足)。そして、なぜ現在、中国共産党(中共、CPC)の発足記念日が7月1日かというと、中共の発足記念日を定めようとした1938年の時点で、発足会議(中国共産党第一次全国代表大会)の日付がわからなかったからである。のち、7月23日とわかった。そして、会議の場所の特定も1950年に行われた。「中央政府は会議出席者の一人、董必武に上海まで出向いてもらった。董が実見したところ、確かに会議が開かれた李書城の住まいだった」(ソース)。そう、中共CPC発足から共和国建国まで(毛沢東以外)唯一生き残った董必武(とうひつぶ)[愚記事:董 必 武 中共国家主席@法政大学卒を知る]が確認したのだ。
その董必武は日本に留学し、さらにはちゃんと大学を卒業した。譚瓐美、『中国共産党を作った13人』には法政大学と書いてある。でも、中共一大代表が行われた会場(現在、史跡)で得た本には、日本大学とある。
■ 今週のユダヤ人たち、ときどき、バスク人、あるいは、ユダヤ人が結ぶ独裁と自由経済
A.G. フランク(左)、ミルトン フリードマン(右)
先週、A.G. フランクの『リオリエント』について言及した。そのA.G.フランクはユダヤ人であり、シカゴ大学の博士候補学生(doctor candidate)だった時、ミルトン フリードマンが教授だったとのこと。指導教官(adviser)だったかは不明。A.G. フランクは従属理論を唱えることになる左翼経済学者であり、ミルトン フリードマンは自由主義経済原理主義者で有名。二人ともユダヤ人だ。(なお、シカゴ大学で、ミルトン・フリードマンの同僚だったのが宇沢弘文 [愚記事:つるっとした 宇沢弘文])
その後、A.G. フランクはチリで大学職を得て、研究活動に励む。アジェンデ政権の頃。そして、クーデター。ピノチェト政権樹立 (wiki)。ピノチェトのクーデターを支えたのが米国・ニクソン政権だ。ピノチェト政権下では、ノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマンが1980年代から2000年代にかけてチリ国内で行った新自由主義的改革(wiki)が実施される。
A.G. フランクは国外脱出。オランダへ。
キッシンジャーとピノチェト(左の画像)、アジェンデ(画像右)
また、ユダヤ人だ、キシンジャー。なお、アジェンデはバスク系チリ人だという。
話はここで終わらない。 キッシンジャーは米中国交樹立の立役者。そして、ミルトン フリードマンは中共に招かれて1980年に訪中。鄧小平時代だ。 ただし、毛沢東の時代から中共はピノチェト政権(米国支援のクーデターでできた独裁政権)と友好的だった。
1971年
すなわち、今から見れば、新自由主義経済を独裁政権で行うチリのピノチェト政権は、1980年代以降の中共の前哨戦だったのだ。
さらに、さらに、A.G. フランクの『リオリエント』は、この1980年以降の中共の経済的復興という現実に刺激され書かれた本なのだ。ただし、A.G. フランクの『リオリエント』には中共党の役割や新自由主義経済について詳細な言及はない。『リオリエント』は20世紀末の本で、さらにその後の20年でチャイナは指数関数的に経済が増大した。
禍福は糾える縄のごとし
■ 今週借りた本、買った本
今年4月10日の記事で、アリギの『北京のアダ・スミス』を読んだと書いてある。また、借りて読んでいる。この本は上記の『リオリエント』のA.G.フランクに捧げられいる。そのアリギの『北京のアダ・スミス』に、シカゴ大学でのミルトン・フリードマンとA.G.フランクのことが書かれている。さらに、神の見えざる手で有名で、それが市場自由主義の権化とみなされているアダム・スミスについて、当時シカゴ大学でミルトン・フリードマンはアダム・スミスを無視していたと書いてある。アリギが何を言いたいかというと、ミルトン・フリードマンの自由主義の系譜の祖はアダム・スミスではない。アダム・スミスは市場自由主義の権化の祖ではないと。
■ 今週の昔住んでた街
カナダ 記録的熱波で死者相次ぐ (google)
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