いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第9週

2024年05月25日 18時08分52秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第9週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の花

■ 今週のクラシカル:クロネコ・ヤマトのキャラクター図案

クロネコ・ヤマトのマークが変わった。2021年らしい(クロネコヤマトがロゴマークを変更した理由とは?担当者が語る真意)。さて、1983年のクロネコ・ヤマトのキャラクター図案を今週見つけた。

 

1983年の広告。筑波学生新聞より https://t.co/cs5M8FWC1N

■ 今週の卒業:「お武家さま」

以前からお米はいただいていたので、買う必要がなかった。ある農家からお米を、 おいらがお武家さま然としているからか、献上してもらっています  。筑波山が見える田圃で育った稲のお米をもらって生きてきた。つくば在住の頃は伺ってもらった。横浜に引っ越してからは、宅配便で送ってもらっていた。この横浜の頃から輸送料金を考えると、いただくまでもないという状況になりつつあった。そして、九州への引越し。ついに、お米をいただくのを止めた。なお、「お武家さま」とは、昔の武士というのは農民のつくった米をもらって(「収奪」して)いた。つまり、武士とは武装しているとか武士のエートスを持っていて「立派」だとかそういう美属性より、他人から食べ物を恵んでもらっている(収奪している)ヤツらということだ。これを明治新政府は、「 武士ト称シ抗顔坐食シ」といった。

今週からおいらも自腹でお米を食べるのだ。「お武家さま」=座食からの卒業だ。

福岡のお米めし丸夢つくしは、
おいしさで定評のあるコシヒカリを父に、
丈夫で栽培しやすいキヌヒカリを母に、
両方のいいところだけを受け継いで生まれました (web site

■ 今週知ったこと;北九州市には「庚申塔」が少ない


https://www.google.com/maps/search/%E5%BA%9A%E7%94%B3%E5%A1%94/@33.9025196,130.5136726,10.42z?authuser=0&entry=ttu

庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。wiki

■ 今週の落とし物、あるいは、遺棄物

モーリーファンタジー ⇒ web site

■ 今週の二色、半葉

柏餅。ふつうのお餅と草餅。

柏の葉は半分だった。

■ 今週読んだ本

積読35年。1989年に新品として購入した(らしい)。当時の価格800円。現在、2,090円(Amazon)。この講談社文芸文庫は1989年に刊行。この刊行直後、消費税が始まる。だから、上記奥書の定価のところにシールが貼ってある。なお、カバーには消費税込みの価格が記載されている。消費税実施後、カバーを取り換えたに違いない。

『万延元年のフットボール』という題だけでイメージ湧出で、読まずに、おなかいっぱいならぬ、アタマいっぱいになりそうだった(?)。そもそもなぜ、フットボールというのが2重に謎。第一がこのスポーツが出てくる理由、そして、なぜサッカーでなく、フットボール? おいらは、このイメージがフットボール/サッカーの競技中に見えることかと処理してきた;

もちろん、井伊直弼の首級を獲って、奪い去るなら、ラグビーボールだろうという考えはあった(安政7年のラグビーボール !)。

『万延元年のフットボール』を読んで、全体的な主旨は、正直わからない。むしろ、個別の「アイテム」、「プロット」に目を奪われてしまった。何より、村上春樹アイテムが続々出てくる。穴の底に籠る、地下室、森、隠遁者ギー(羊男、高知の兵役拒否者)、徴兵されて戦地での蛮行、その兄弟、アメリカ、外車...。

もちろん、村上春樹が大江健三郎の影響下にあるのだ。そもそも、「1973年のピンボール」だ。ただし、「ピンボール」には、森、穴の底、兵役、虐殺は出ておらず、その後の作品ででてくるのだが。

そして、予言性。1967年1月から連載が始まったこの作品。青年の暴力が書かれているが、この年の10月に羽田事件となる。スーパーマーケットの天皇。復員兵であり日常生活の「豊かさ」を実現しようとした中内功がダイエーを急成長させていた頃だ。大江は1967年に「主婦の店」を知っていたとのこと。そして、テレビと壊されていく江戸時代建築の大規模建築の蔵屋敷。

物語の最後に、気づかなかった扉が見つかり、その扉を開けることで、これまでの了解、つまり物語が改訂される。見つかるものは自由民権運動関連の資料である。

さて、五日市憲法が多摩の蔵を開けて、発見されたのが1968年。

▼ なぜ、玉音放送のすぐあとに進駐軍が来たと了解するのか?

物語というは現実の了解だ。「事実」と物語での相違を詮索するのは興味深い。

『万延元年のフットボール』には日本の敗戦後、舞台となる森に進駐軍が来るくだりが、喩だが、出てくる;

9 追放された者の自由

ー古い話を持ちだすなあ、逃散は万延元年の一揆よりもなお以前の話じゃないか。
ーいや、いや、私は逃散を見ましたが!戦争に敗けて進駐軍がジープで来た時、年寄りや動けないものはみな谷間に置いて、村じゅうの元気な者が森へ逃げ込みましたろうが!

ここには、進駐の時期の情報はないが、下記にはある。この下りは米進駐軍を比喩として、スーパー・マーケットの天皇が来る情景である。両者は勝ち誇った者同士である;

13 再審 

僕は進駐軍のジープが最初に谷間へ入って来た日の光景を明瞭に思い出す。スーパー・マーケットの天皇の一行は、あの真夏の朝の穏やかに勝ち誇った異邦人たちに似ている。

「あの真夏の朝」とある。この物語では、作者の大江健三郎は、ジープの進駐軍は真夏に来たと了解している。この物語では四国であり、高知の森を越えた地域、7万石の藩の地域と書かれている。端的に、大江の出身地の愛媛県と目されてる。もし、そうであるなら、進駐軍が愛媛県に来たのは10月末である。日本で最も遅く米軍に占領されたのが愛媛県なのだ(大江健三郎に会うことになる進駐軍はかなり彼を待たせたのだ)。

進駐軍による日本全国への兵力展開は極めて迅速に行われ、9月末にはほぼ内地進駐を終え、10月には北海道の進駐(旭川・10月6日)を完了した。最も遅いのは松山で、10月22日である  (引用元)(愚記事

▼ シエトロン

出てくる車がシエトロン。想像もつかなかったのでググってみた。種類がいろいろあるのだろうけど、例えばこういう車らしい。

▼ 舞台 ここらしい [google];


Google map

大江健三郎の出身は愛媛の「森」とだけ知っていた。内子町を初めて認識。大洲の近くと知る。大洲は行ったことがある(愚記事:大洲参り)。この時、駅前に「中村修二誕生の街」と碑があった。もちろん、それまで知らなかった。そして、今さら気づくが、この辺 N賞 多産地域だ。

■ 今週のお支那さま;東夷の倭人=民衆への伝言

中国の呉江浩駐日大使が台湾との関係を巡り、日本政府が中国の分裂に加担すれば「日本の民衆が火の中に連れ込まれる」と発言したgoogle

核保有国が「日本の民衆が火の中に連れ込まれる」という意味は核攻撃して一般人を大量虐殺するということである。恫喝だ。興味深いのが鳩山由紀夫と福島みずほが同席し、鳩山は積極的に容認していることだ。福島も同様だろう。

もし日本国政府が自衛隊を以て中共ー台湾紛争に参加しても、中共にとっては「侵略戦争」だとしても、一般日本人が大量虐殺される筋合いはない。せめて。呉大使は、中国の分裂に加担すれば、自衛隊は無慈悲に打ち砕かれるであろう、くらいにしておけばよいものを。民衆を持ち出してしまった。今、呉大使を望ましからざる外交官として追放する動きがある。しかし、むしろ、中共の本音を引き出すことができてよかったのではないか?

鳩山由紀夫と福島みずほばかりでなく、高野孟がいたと知りにこにこできる。



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