いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第371週

2021年12月18日 18時20分33秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第371週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア


東京都世田谷区

■ 今週の草木花実

■ 今週のお寺;豪徳寺

■ 今週の中止

「令和3年世田谷のボロ市」の中止について (世田谷区)

■ 今週の風俗習慣

世田谷区立郷土資料館の展示

奥澤神社の大蛇お練り行事(世田谷区 web site

江戸時代の中頃、奥沢の地に疫病が流行し多くの村人が病に倒れたことがありました。ある夜、この村の名主の夢枕に八幡大神が現れ「藁で作った大蛇を村人が担ぎ村内を巡行させるとよい」とのお告げがあり、早速そのとおりに実行するとたちまち流行疫病が治まったそうです。この言い伝えによって奥澤神社の例大祭に大蛇のお練りが行われるようになり、鳥居に厄除けの大蛇が飾られることとなりました。

■ 今週のレコンキスタ史跡訪問;用賀駐屯地

この建物群は敗戦前からあるかもしれない。下記、航空写真。左から、敗戦前、敗戦後、現在;

旧軍時代からの施設であれば、当然、進駐軍に接収された可能性がある。wikiには、占領軍に接収されたと書いてある。

旧陸軍衛生材料廠の跡地に位置し、米軍の接収を経て1963年(昭和38年)3月31日に開設され、陸上自衛隊衛生補給処が立川駐屯地から移駐。

敗戦後、占領軍のどの部隊が進駐したのかをネットで調べてみたが、わからなかった。東京を占領したのは、米陸軍・第1騎兵師団なので、「第1騎兵師団、用賀」= 1st cavraly division & Yoga でググった。出て来たのこんなんだ;

Thunder Horse 2-12というのは、1st cavraly divisionの2nd Battalion, 12th Cavalryという部隊らしい(wiki)。ヨガのトレーニングをしているのだ。

■ 今週のわけあり

熊本産(天水町など)。今季2回目(1回目)。やはり、味は濃く、あまい。

■ 今週の購書:ブックオフ

▼ 入江昭、『歴史を学ぶということ』を贖う。この本自体は知らなかった。入江昭の自伝、研究者人生の回想録。入江昭、1934年(昭和9年)生まれ。存命である。江藤淳の1歳下。入江昭の人生の詳細を始めて知った。

おいらが本というものを50冊、恐らく30冊も持っていなかった頃買ったのが、この入江昭、『日米戦争』だ。10代であり、まだ高校生だったと思う。そこに至った経緯。初めておいらが買った本は、忘れもしない、山岡荘八の『山本長官機かえらず』だ。小学校3,4年生の頃だ。テレビで見た映画で山本五十六の物語をやっていたのを見て、もっと詳しく知りたく、近所の紀伊国屋で買った。近所に紀伊国屋があったのだ。その後、戦記物をたくさん読んだ。何より、テレビでたまにやる実録第二次世界大戦とかいう実写映像を使った番組が好きだった。本は図書館で読んだ。中高生になると戦記物から歴史ものというか戦争への国際政治に関心が移り、図書館でその手の本を読んでいた。が、内容は「日本は侵略しました、虐殺しました」と日本を非難することばかりで、その原因や経緯も「軍部の台頭」に終始するものであった。今でいう「自虐的」、「反日的」な本ばかりであった。書名などは忘れた。そんな中、入江昭、『日米戦争』に出会った。図書館で。おいらは、この本で初めて詳細に、学術的に大東亜会議について知った。さらには、タイのピブン首相も出てきた。当時独立国であったタイは英米に宣戦布告した。日本軍のシンガポール陥落前だ。『日米戦争』は、こういう史実が書いてある本であった。この入江昭、『日米戦争』以外に、その後長らく、タイのピブン首相が書いている本を見たことはなかった。ただし、村嶋英治『現在アジアの肖像9 ピブーン 独立タイ王国の立憲革命』という本が1996年に出たそうだ(読んでない)。もちろん、入江昭は「右翼」でも「アジア主義者」でもなく、当時のアメリカ歴史学の主流派である「現実主義」、「権力政治主義」的、実証主義的な歴史記述だ。当時の日本の歴史学の偏向がひどいので、おいらには、入江昭が「右翼」に見えて、うれしかった。もちろんこれは誤読で、向こう様が迷惑である。

その入江昭の自伝であるこの本には、高卒後18歳で渡米してからの修行時代と研究者・教育者人生が描かれている。この本は2005年の本。なお、2014年に入江は『歴史家が見える現代世界』で、一国主義はだめで、地球人であるべきという思想の信者となった。

入江昭の研究人生は長く、年を経ると過去との距離感が変わるのがわかる。これは、おいらも実感する。すなわち、子供の頃、戦争は生まれる前の遠い昔のことと思っていたが、今から思うとその時点は敗戦後30年ほどなのだ。

入江(80歳)は『歴史家が見える現代世界』での思い出ばなしで、1969年の細谷千博との共同研究について、「終戦からまだ25年もたっていなかった」と書いている。

一方、44歳の入江は、1978年の『日米戦争』では、「日米戦争も遠い過去のものとなった」と書いている。1969年と1978年の9年間で急に日米戦争が過去に遠ざかるわけでもないとおもうので、44歳と80歳では過去との距離感が違うのだ。

▼ 栗本慎一郎、『全世界史 経済人類学が導いた生命論としての歴史』も買う。

前項の入江昭は11歳で敗戦を迎え、日米関係の再興を願うジャーナリストの父の勧めで渡米する。端的に端緒は対米敗戦である。一方、栗本慎一郎は4歳で敗戦。進駐軍やパンパンが行きかう渋谷で育つ。今から見ると、栗本はアメリカにこだわっていた。おいらが10代に読んだ『幻想としての経済』にある;

元来、均質な文化を持たないアメリカは、とくにアジアの有色人種に対しての他者理解の知的方法を欠いたのである。東京・渋谷にあったワシントン・ハイツを思い起こしてみるが良い。彼らは、異国を全くアメリカとして住んでいた。別の見方をするなら、面白いことが言える。もともと単一のパラダイムを持っていなかったアメリカは、他者(外国)を通じて、その体内の基地などに一つのアメリカを現出させしめたということである。

10代にこれを読んだはずのおいらは、ワシントン・ハイツの意味をわかっていないに違いなく、さらには、ワシントン・ハイツって何だろうとも思わなかったのだろう。たとえ、何だろうと思っても、ネットなぞない時代だし、学術用語でもなさそうなので辞典にも載ってないと思い、調べようがないと考えたに違いない。  

東京でパンパンを目の当たりにして育った栗本が、のち、アメリカに女を買いに行く、というかアメリカ滞在中に金銭を媒介に女と交際する話は『南部』に書いてある。

そんな、端的に端緒は対米敗戦に違いない栗本の生涯の主題は「白人」=ヨーロッパ文明の解明だ。こういう人と知っていたので、この『全世界史 経済人類学が導いた生命論としての歴史』を買った。

「トンデモ」の香りもするが、端的に、  

今は白人が世界の主流の位置を占めるわけだが、初期には逆に差別を受ける弱い立場だったことは間違いない。コーカサスをでなければならなくなった白人化したゲルマン人が、日照が少ない北欧にまず向かったことを白人となっていたからと考えるのは無理のない想定である。

などある。

■ 今週の購書;通販

『日米同盟半世紀』は2001年の本。半世紀とうたっているので、日米同盟は旧安保の時代も含むこととなる。すなわち、この認識だと内乱が起こると出兵してくる国との条約が「同盟」だということになる。もちろん、交戦権のない国が他の国を「同盟」を締結しうるという認識(現在日本の大多数の認識)である。安かった(200円)ので買った。

西部邁、『文明の敵・民主主義』をもっていなかったので買った。バイデンの民主主義サミットは、評判はよくない。自民党の外交部会長の佐藤正久さんも残念がっている YouTube。自分たちは民主主義だから偉くて、おまえらは権威主義だからうんぬんかんぬんとか、当世、通用しそうもない。何より、米国内が問題だ。さて、西部の民主主義批判の核心は同じだろうけど、「文明の敵」というものいいに惹かれ買う。

「文明の敵」=歴史=伝統の敵ということか。自生社会は、歴史的にできてきた習慣がある。民主制の名のもとに、自生社会を破壊すること、破壊しすぎることはやめろということか。例えば、1票の格差とか解消する必要はない。東京や横浜の流れ者(おいらもそうだ)より、先祖代々その地に慣習に従い暮らす鳥取県民の方が「偉い」ので、1票の価値が高くて当然だ、という考え。

 



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