お昼は中華街で頂きました。 安全を考えてか、防御が厳重な上で運動会をしていた学校を垣間見ました。孫文先生の肖像を掲げていました。防御ネットのため不鮮明になってしまいました。
牛肉飯、780円をいただきました。少し、ハッカクの香りが、おいらには、強すぎました。
横浜中華街は2-3度目ですが、いつも混んでいますね。
これは中華街で見つけた壁の装飾ですが、典型的な清朝スタイル(だと思う)。だって、北京の故宮にたくさんある。上記の学校は中華民国派、そして建国95周年を祝っているということは、清朝に対する革命派ということです。そこで、倒れた清朝の亡命人士というのはどうしたのでしょう?みんな満州に行ったのかな?
清朝やロシアなど帝国が崩壊したあと、小樽・横浜・神戸などの港街には亡命してきた人が住んだ。清朝やロシアなど帝国崩壊の引き金は日帝が弾いた。日清・日露戦争。
日帝が「敗北」した時、引き上げで本国に帰った人は膨大だけど、亡命した人がいるとは聞かない。あえて言えば、辻政信と「水島上等兵」くらいか? これはやはり皇帝が「安泰」だったからだろう。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html
一方、サヨ方面では(?)、蟻の兵隊http://www.arinoheitai.com/
が、はやっているそうです。