― 振り返り、おいらに、来猫を告げる、うめちゃん@箱入り ―
うめちゃんが唸るので、外を見ると、庭の野菜くずの捨て場にノラにゃんが来ていた。
さすが、ノラにゃんだけあって、ちょっとやそっとのことでは動じない。つまりはデジカメ撮り放題ではあった。
箱入り@うめちゃんと、ノラにゃんの「唸り」合戦では、断然、ノラに加勢せよ!というおいらではあるが、
(なぜなら、おいらが、ぬっぽん社会のノラであるから)
このノラ殿は大物らしく、唸りあいというチンケな合戦には参加するそぶりも見せなかった。
おいらは、自分を恥じた。 ノラだって、唸ってばかりじゃ(=ぐちを言ってばかりでは)だめなんだ。
振り返って、美しい瞳を見せなければ!
■ぐち;
とは、言っても、そう簡単にぐちを言うことはやめられない。
やはり、おいらが「愚民党」自民党政権時代から指摘しているように(小沢党をこのブログでは第二愚民党と呼んでいる)、民主党は第二愚民党なのだ。もっと言えば、20世紀末、権勢を誇っていた自民党に入りそこねた人たちが、あるいは 自民党 でヘゲモニーを取り損ねた人たちが作ったのが、今に至る民主党である。これは、民主党の人たちをおとしめているわけではない。自民党において世襲化と官僚上がりの議員が跋扈することとなり、むしろ自由民主党の本義の理念を有する人、あるいは実力のある人(体が強壮で、頭脳明晰で口八丁、手八丁)が、自民党から政治家になれなくなったのだ。野田首相だって、典型的な「不運な自民党議員」である。自民党が20年前にリクルートすべき人物であったのだ。でも実際に跋扈していたのは安倍ちゃんとか太郎ちゃん。体も弱いし、頭も弱い。野田首相が、就任後、中曽根大勲位に面会したのは、自分こそ自民党の正嫡であると、アピールしたかったにほかならない。
(本愚ブログがずーと前から指摘している。政権交代したら別にぬっぽんはよくなるわけではない;
愚記事: 選挙に行く奴はバカである。
(無答責の人間が政治に関与することが矛盾である!って、ひろひとさん問題が、選挙に行くバカ野郎ども問題になっただけ)
・政権交代が、「民主政治のはじまり」とぬかしていたバカども=デマゴーグ)
●そして、この野田首相の増税路線は、ぬっぽんの大課題である「佐久間親子」の追放という問題に触れることなく、ぬっぽん終焉を先延ばししたに過ぎない。
「佐久間親子」の追放とは、織田信長の家臣、それも旧臣である「佐久間親子」のこと(佐久間右衛門かたへ御折檻の条)。
彼らは業績主義の点からは碌な仕事もしなかったので、信長に追放されたとされている。
今の日本は、組織的に「佐久間親子」がはびこっている。これが、日本停滞の理由である。例えば、愚記事:シロアリ研究者としての日本食税研究者。
これは、官民問わずある問題です。民間では多少なりとも是正されているようですが、ノン ワーキング リッチ中高年が跋扈しています。
公務員の世界はいうまでもなく、小泉改革から今回の大阪の橋下徹まで、「庶民の/ポピュリズムによる」「佐久間親子」の追放運動が起きています。
今回の野田増税は、ノン ワーキング リッチ中高年を温存する結果しかもたらさない増税だ。
「佐久間親子」による、に「佐久間親子」のための増税だ。
■「佐久間親子」を支えるのは税金;
今後ぬっぽんは二つのことをしないといけないでしょう。増税と「佐久間親子」の追放。
一般論として増税は不可避と、おいらは、思います。でも、「佐久間親子」がはびこりすぎだとも思います。
両方やってください。政治家さま。そして、あなたたちも自己追放してください。
今回の野田増税で「佐久間親子」だけがほくそ笑むことになれば、「佐久間親子」国家になります。国民みんなが生活保護、そして生活保護を受ける国民が選ぶ政治家の国。 もっとも、そんな国家は三日ともたないので、むしろ歴史は進むでしょう、ぬっぽんが破たんして。
▼ダウンサイジング対象としての五人囃子、あるいは、五人囃子は21世紀の「佐久間親子」なのか!?
そんなぐちを唱えながら、つくばのイーアスに行ったら、ひな人形が盛大に売り出されていた。でも、気付いたよ、五人囃子がいないって。
おいらのがんきんちょの頃でもすでに、ひな人形は箱入りタイプの「団地」用だった。でも、当時は、いたよ、五人囃子。
(画像;拾い物)。
やはり、周りを気にし過ぎて、つまりは「空気を読み過ぎて」、音曲を自粛していたので、
仕事をしていない「佐久間親子」と判断されたのだ!
恐るべし、業績主義の21世紀のぬっぽん!