いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第361週

2021年10月09日 16時49分43秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第361週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の東京

■ 今週の草木花実


野ばら


レモンなんだろうか?

■ 今週の二度咲

キンモクセイの香りがした。咲いていた。google [キンモクセイ 二度咲き] 。今から思えば、9月にキンモクセイが咲いたとき、早いなと思った。つくばにいた頃は、キンモクセイは10/1に咲くと経験上思っていた。キンモクセイと冷たい雨というのが印象だった。


梅が咲いていた。 これは驚いた。 見つけて、うれしかった。

■ 今週の蝶

■ 今週見た落とし物・忘れ物

■ 今週の黒赤

■ 今週の赤い実


バーミヤン、「果肉レモン入りオーギョーチ」

赤い実=クコの実 (google)。 オーギョーチ(愛玉子)は、つる性の植物の一種。その植物から作られるゼリーのデザートも、「オーギョーチ」と呼ばれています。ソース

■ 今週の昭和の成仏のために

古紙ゴミに電気・電子系技術者が捨てたのであろう本群を見た。

■ 今週の本

本体¥197+送料¥360  (Amazon

江藤淳の『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』は、占領時代の占領軍による検閲を研究した本。1982年からの仕事だ。この仕事のための史料/資料集め、閲覧は1978年の滞米中に行われた。すなわち、江藤淳は1978年の9か月、ワシントンで暮らした。妻はもちろん、犬まで連れて行った。その滞米中の文章が当時の週刊誌に連載され、それらを纏めたのがこの『ワシントンの風のたより』。

この1978-1980年の時代背景は、イラン革命、米国大使館人質占拠=米国の国威失墜、ソ連のアフガニスタン侵攻、戦わなければアフガニスタンと同じ運命を辿りかねない関係の逆転米豪NZ海軍との共同演習オリンピック不参加。日本では、神奈川金属バット両親殺害事件(1980年)[wiki]=江藤はこの本でこの事件を論じている。さらには、田中康夫、『なんとなく、クリスタル』。そして、文化的ジェノサイド。 太字は現在の状況を背負って読むと、時代を越えて、同じような鍵語句が目につくなァと思わせるもの。

この時期の江藤淳を、平山周吉は浩瀚かつ詳細な江藤淳の伝記『江藤淳は甦える』において、「外国人の支配に対する憤激」というアフォリズム(エリック・ホッファー)を動機とする「戦後体制への異議申し立て」として描いている。1978年後から10年後の回顧として、江藤が1978年の滞米中の会議(学会的討議・講演会)で占領軍批判をするので、かつての進駐軍・軍人に命を狙われると警戒したという。そして、この戦後体制を造った占領政策を批判したことが、1980年代の江藤淳の「生き埋め」となったと推定している。事実、そうなのであろう。

当時も(福田恒存)、今も(小谷野敦)、江藤の占領軍による検閲研究は無駄だ、意味がないと評価されている。中川八洋に至っては、江藤を最悪の反米主義者としている。

さて、このように米国に批判的と思われているらしい江藤であるが、この『ワシントンの風のたより』には、日米の同盟の悪化への憂慮が多く書かれている。さらには、イラン問題で傷つくアメリカをいたわってさえいる。

例えば、イラン問題。1978年、イランでホメイニ革命。イスラム教による原理主義的革命の実施。当然、反米。さらには、米国大使館を占拠し米国人を人質にした。この事件は、911テロまでは第二次世界大戦後の米国にとっての屈指の屈辱であった。

その米イラン戦争寸前の状態で、当時の日本は莫大な原油をイランから輸入していた。米国の感情が悪化した。『ワシントンの風のたより』の「同盟国との付き合い方」という文章に書いてある;

 まァ、ことほどさように過去六週間ほどのアメリカは、著しく愛国的になっているのです。(中略)それがイラン危機の勃発と同時に、突然本来の面目を取り戻し、人が変わったように愛国的になった。
 もともとアメリカ人は、きわめて愛国的な国民だといってよい。それもこの国に来て日の浅い人々ほど愛国心を表面に出し、自分たちがアメリカ人になったのだということを強調しようとする傾向がある。こうなってしまえば理屈抜きで、とにかくアメリカに味方をしてくれる国はありがたく、イランの肩を持つ国は憎いという心理になる。
 庶民だけではありません。一皮むけばインテリも政府高官も同じことで、味方ならずんば敵というか白か黒かの論理が、現在のアメリカの社会心理を支配している。

と米国人の気分の傾向を述べ、次に英国のサッチャー首相が来米して、アメリカとの協調を歌い上げ、米国人の人心を掴んだことを紹介する。

 同盟国というのはすべからくこうでなければならない。相手の立場や気持ちをよく理解し、よく理解していることをいいタイミングでじょうずに相手に伝えながら、自分の言い分はチャンと通す工夫をしておく。サッチャー首相の対米外交は、この点同盟国のあしらい方として模範的といってもいいすぎではない。
 それにひきかえわが大平首相の不手際はなんということかと、情けなくて仕方がない。当地では、暮れのうちひと頃、ヴァンス国務長官がパリで大来外相に抗議するよりまえに、カーター大統領が大平首相に協力を求める親書を送っていた。その親書は北京訪問中の大平首相の手許に転送されたにもかかわらず、大平首相はそれに一顧だも与えなかった。そういういきさつがあったためカーター大統領が激怒し、ヴァンス長官の抗議となったのだという噂が、確かな筋から流れていました。
 もしそうだとすれば、同盟国のよしみどころか、これによってホワイト・ハウスと国務省がどれほど深い対日不信にとりつかれたかは想像に難くない。(中略)今度の大平首相の不手際は、アメリカ人の愛国心を踏みにじり、アメリカの”敵”の同調者という日本のイメージを、アメリカの国民大衆の心に植えつけてしまったという意味で、はるかに複雑で深刻な結果を生んでしまったといわねばならない。

と、烈しく、日本の大平政権を批判している。その根拠、日本政府が米国に対し同盟国としての振る舞いができていないことであるである。動機は日米関係の悪化阻止である。かように、江藤は、当時、対米関係に配慮していたのだ。

▼ 文化的ジェノサイド

占領軍の検閲を研究し始めたこの当時、江藤は表だって積極的に米国を批判していない。ただ、つぎの文章がある;

ウイルソン・センターで、言論検閲の三つの事例を比較する研究会があり、江藤も発表した。3つの事例とは、米軍占領下の日本、軍事政権下のブラジル、ソ連占領下-チャウシェスク政権下のルーマニア。

 この(国際ペンクラブ会長で日本に来たことのあるペルーの作家)ヴォルガ・ローサ氏が、討論が終わると同時に私のところにやって来て、
「米軍の検閲は『万葉集』の詩や歌舞伎まで禁じたのかい。なんとばかなことをしたのだ。」
 と、つくづく呆れかえってものがいえないという顔をしているところへ、世界で最初の『アフリカ文学史』を執筆中のナイジェリアの文学者オペチーナ氏が加わって、
「これじゃァまるで文化的民族絶滅みたいなものじゃないか」
 と、穏やかな人柄にもかわらず、心から憤慨してくれたのはまことにありがたいことでした。

と書いている。 文化的民族絶滅、って1979年にはあった言葉だと知る。cultural genocide [wiki] の日本語は、文化浄化 [wiki]となっている

▼ 検閲の内面化  パノプティコン的監視の現実化

 しかし、それにも増して私の心に残ったのは、つい先頃から客員として仲間に加わったロバート・コックス氏の、
 「検閲のなかでいちばん恐ろしいのは、編集者や執筆者の心に内面化されてしまった検閲だ」
ということばです。

江藤の占領軍による検閲研究の成果は、この占領軍の検閲が戦前日本検閲、すなわち、不適当な文書を外的に罰する検閲とは違うことを示したこと。つまり、常に検閲されているか、検閲されていないかわからないので、常に気を付ける挙動をい身につけさせられ(=身につけないと、突然罰せられる)人間になっていくことである。検閲の内面化。

占領軍の検閲は、日本人で表現する人間を、パノプティコン的監視下に置き、調教していったのだ。

▼ 神奈川金属バット両親殺害事件(1980年)[wiki]

『ワシントンの風のたより』の「宮前平の親殺し」という題で、この事件を論じている。つまりは、受験社会の弊害、学校化社会の弊害を論じている。今から見れば、近代社会における学校化による人間の家畜化批判と云える。さらに、上述の監視的検閲を加えれば、(後期)近代において人間が自己奴隷化していく過程、機構を論じていることになる。

振興住宅街の貧しさ、能力主義的近代人の貧しさを語っている;

教育と学歴以外に、何一つ息子に遺してやるものを持たない無数の日本の父親の一人の、絶望と憤懣が、今度の血なまぐさい親殺しを誘い出してしまったのでした。

 ー その時代:監獄化社会・学校化社会の認識 ー

『ワシントンの風のたより』は、1981年の刊行。栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』と同じ年。その本は、「近代科学は、現代の学校化・監獄化社会を作りだした。実際の監獄は、そこからはみ出した者をほうり込むためにある。」を主張。近代科学は、とあるが、近代社会は、近代文明は、としたほうがよい。『「近代」の意味 制度としての学校・工場』は、1984年の本。

■ 2週間前に見た地域貢献

2週間前に京都旅行に行った。五条のホテルに泊まった。近くにフランス語人向けの学校があった。朝夕、ヨーロッパ系・白い人、アフリカ系・黒い人が通学していた。彼らがみんなフランス人かはわからない。フランス語を使うフランスではない国の人たちかもしれない。そして、日本の学校の登下校と違うのは、親子同伴で通学していた。google [フランスの小学校の通学、登下校は親が付き添う]。

さて、そのフランス語人向けの学校が、地域貢献をしているのを見た。学校の近所の人限定なのだ。



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