いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

仙台参り 【2007】 段丘崖

2007年11月20日 19時42分34秒 | 仙台・竹雀・政宗


段丘崖(だんきゅうがい)

この画像には少なくとも2つの段丘崖が認められる。ひとつは画像奥の建物が立っている手前の崖、もうひとつは、このテールランプを光らせている車が乗っている段丘面と右側の白い車が、自動車学校の車なのであるが、乗っている段丘面の境の、テールランプの車のすぐ右の「崖」。

この画像は昨日のブログ記事の地図の仙台赤門自動車学校付近の画像。奥の高い段丘面は地図にある市民会館が乗った仙台中心街の面。崖の手前には広瀬川が流れている。

仙台は河岸段丘の街。

河岸段丘は豪華多段の雛飾りみたいなもの。最上段にはお内裏様とお雛様。最下段には牛車と従者。

仙台も最上段には仙台城があり、この画像を撮ったあたり、すなわち最下段の段丘面の地名は、大工町だの、というものであり、デークなどが住んでいたのだろう。

そして、段丘最下段の現在の土地利用は、自動車学校。



この画像は仙台城跡から、数年前に、撮った、追廻(おいまわし、という名前の町)付近。これまた、河岸段丘最下段である。 広瀬川が湾曲、蛇行している。
これまた土地利用は、自動車学校。 昨日の地図の花壇自動車学校。
写真右上の崖も見事な典型的な段丘崖。そしてなによりこの画像を撮った足元の一歩先は激しい段丘崖にほかならない。





仙台参り 【2007】 溶岩ドーム かな?

2007年11月18日 17時40分35秒 | 仙台・竹雀・政宗


仙台、作並のニッカウイスキー工場から見える山。

溶岩ドーム のような気がする。 溶岩ドームとはマグマが上昇はするが全てを噴出せずに、むしろ揮発成分のみを分別して放出し、つまりは水蒸気爆発のみを起こし、そのままマグマ本体が地中で冷却固化してできる。 粘性の高いマグマにしばしば見られる。 典型例は昭和新山。

仙台参り 【2007】 肴町

2007年11月16日 19時42分09秒 | 仙台・竹雀・政宗


仙台、肴町(さかなまち)。

この日仙台散歩。名所でも旧跡でもいないただの仙台の街を歩くだけのことに幸せを感じさせたら、
おいらがぬっぽん一だろう。 まつがいない。

梅原猛センセ御生誕の街。 

梅原猛は、帝大生だったパパとその下宿先の魚問屋の娘だったママの間に、
庶子としてこの世に現れる。

この事は全くでない;Google; 梅原猛 庶子 



仙台参り 【2007】 天使の取り分

2007年11月15日 20時14分37秒 | 仙台・竹雀・政宗




天使の取り分; 蒸留したウイスキー原酒を樽につめて熟成させる際に、原酒が減少する分を、昔の人(アイルランド人かスコットランド人)は天使が持って行ったのだとして、この言葉で文節化した(らすい)。 Angel's share

■ なぜ、Cupidは、取り分を請求しない?

● Angel's shareって、貯蔵庫/「当局」による各樽/各lab からの overhead か!とピンと来た方はポチッとよろしく。 

仙台参り 【2007】 なぜ、お坊さんはaddictなのか?

2007年11月14日 19時33分44秒 | 仙台・竹雀・政宗


ウイスキーはアイルランドの修道院で密かにその製法が開発されしつづけていたらしい。文献に初出するのは西暦1400年代。実際は、西暦1000年ころから、修道院では作っていたらしい。

アラブのお坊さんはコーヒーに淫し、アイルランドの坊さんは酒におぼれる。
(↑アラブのお坊さんとコーヒーを勝手に結びつけたのは、Moliendo Café(邦訳、コーヒールンバ)の訳詩者です。なので、アラブのお坊さんとコーヒーの本当の関係は知りません。)

 ウイスキー(英:Whisky または Whiskey)は、蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽の酵素で糖化し、これを発酵させ蒸留したものである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』ウイスキー

とあるが、発酵・蒸留は実は2日もあれば終わる。 

ウイスキーのウイスキーたる所以は、蒸留した水とエタノールといくばくかの発酵由来の第三成分からなる混合液を、木の樽につめて、何年も熟成させることにある。

つまり、ウイスキーとはウイスキー風味の原因となる「雑多」な成分をわずかにふくむ含水エタノールである。 そして、その『ウイスキー風味の原因となる「雑多」な成分』を獲得するのに、現在でも数年にわたる製作期間が必要。

さて、坊さん。ウイスキーつくりは楽しかったのだろう。ウイスキーつくりは、発酵、蒸留、熟成、貯蔵と技術の集大成である。 坊さんはその技術開発に努めていたのだ。 

坊さんが楽しかった理由↓;

 確かに、今の一般の考え方だと、技術は科学の所産であり、科学は人間理性の所産だから、理性によってコントロールできると考えるのが普通ですね。ところが、ハイデガーは、技術の方が人間より先だと考えているらしい。技術が自己展開の必要から、理性や科学というものを生み出したんだと考えているみたいなんです。(中略)だから、人間が技術を生んだというよりも、技術によって人間が人間になったんじゃないか。技術の実体化と言われるかもしれないけれども、どうも技術というものには独自の論理があって、その展開が必要に応じて理性や科学を生み出し阿たと考えた方がいいと思います。 木田元、福田和也との対談、「知識人とナチズム」より。

ちなみに、蒸留はアラビアで発明され、ヨーロッパに伝わった。錬金術など物質にこだわったアラビア文明の一端らすい。

■現在のウイスキー作りで不思議なのは、近代の精華である要素還元主義を適用しているようには見えないことである。つまり、ウイスキーは、含水エタノールに『ウイスキー風味の原因となる「雑多」な成分』を加えればいいのである。ウイスキー風味の原因となる「雑多」な成分』は別途、調合あるいは合成すればよい。

化学分析と合成技術が極致に達した感のある現代でも、誰もこういう「人口合成」ウイスキーを造ろうとしないのは不思議である。たしかに、坊主が作るようなやりかたではなく、職人がつくるようにはなったのはあるが、さらなるキチガイ水合成法の近代化が行われないのはなぜか?

仙台参り 【2007】 カフェ式蒸留塔

2007年11月13日 20時47分03秒 | 仙台・竹雀・政宗


蒸留酒製造の御本尊です。 蒸留塔。

これは、単段の蒸留です。 つまりは一発蒸留です。 今回初めて知ったのですが、原料により蒸留の方法が違う。 モルトが原料の場合はこの単蒸留。

原料を発酵させた液のほとんどはエタノールと水。 それを分別するのが蒸留。 例えば水分に富む発酵液を炊き上げると液から蒸気が生じる。生じた蒸気の方がエタノール濃度が高い。このエタノール濃度が高い蒸気を捕まえたのが蒸留酒。 その蒸気を冷やして液化して、我が物とする。 蒸留なり。

ところが、ウイスキーのウイスキーたる所以はその99.9%以上の含水エタノール意外の成分を持つことにある。ウイスキーの風味。そうでなければ、ただの含水エタノール。

モルトでは原料はグレーン。とうもろこしとか。 その発酵液は単蒸留ではなく、多段の蒸留でエタノール濃度を高める。 なぜグレーン原料の場合は単蒸留ではないか?は今のおいらの学習課題。 理屈で考えると単蒸留では「切れない」水・エタノール以外の成分があるので、多段で蒸留して「切って」いるのだろうか?

よくわからん。 その多段蒸留塔が、カフェ式蒸留塔。

ニッカ カフェ式蒸留塔

模型が展示してあった。 なぜ「カフェ」というのか?からして不明。


仙台参り 【2007】 プロセス

2007年11月12日 20時41分26秒 | 仙台・竹雀・政宗


プロセスフローチャート

今度の仙台参りでは作並温泉に泊まった。翌朝、ニッカのウイスキー工場に行った。
見学できる。 ニッカの聖地 宮城峡蒸留所

●ところで、「プロセス」にふさわしい日本の言葉ってないよね。

ましてや、やまとことばには思い当たらない。

(後記; なりゆき ってのがある。 けど、なりゆきには目的性がないようにおもえるが...。 てつづき、ってのは案外近いかな。 でも作業してる感覚が薄い。)

今、無理やりの訳語は「工程」「過程」だろうな。でも、こういう言葉って、腑に落ちてない、つまりは身体化していない、実感がなくても言葉を使える、西周センセを嚆矢とするガッコ秀才しか使わないんだっちゃ。

現在、プロセスなる語を実感して使っている人々の例、Google; プロセス設計は、12万5千件。 

ただ、西洋アルファベット単語を、支那文字まじりのぬほんごに「置き換えれば」済む問題でもないよね、アマネちゃんさー。

◆ニッカのガイドさんに率いられ、ウイスキー製造のプロセスを追う。









肝心の中心「素プロセス」(ウィキペディア; 単位操作; unit operation)の看板の画像がない。画像採集を忘れたのだ。現場で気づいて探すべきだった。

「肝心の中心『素プロセス』」って何でしょう?

このブログの自己紹介の欄にあります。

これですね。


仙台参り 【2007】 西郷軍兵士の墓

2007年11月11日 16時45分39秒 | 仙台・竹雀・政宗



blog やまとこころ 「陸奥・仙台 鹿児島県人七士の墓」様の画像 (現在リンク切れ)。

お墓は凝灰岩で出来ているようだ。これは、西郷南州と同じである(下記記事参照)。

これは、薩摩は鹿児島と奥州は仙台のそれぞれの城下近くに火山がある/あったことを物質的根拠としている。 
ちなみに、伊達と島津は"出自"が意外に近いと書いたことがある。

このお墓は瑞鳳殿に行く途中にある。



大日本帝国陸軍の最初の大将は西郷隆盛。政府で面白くなくなったので、
この俺さまがいないで政府はやっていけるのか!と辞める。
薩摩に帰り、くすぶる。
日帝はまだ力量不足と言ったかは不明。元祖、壊し屋。

そして、大久保に挑発され、発火。反乱軍となる。西南戦争。

関連記事;◆屯田兵、北へ南へ。あるいは、賊軍・官軍。
      ◆南洲顕彰館
      ◆西郷南洲墓地

戊辰戦争では仙台兵が賊軍。のち、薩摩(西郷派)は西南戦争で賊軍すなわち朝敵となり、敗残した兵士が旧朝的の城下に囚われることとなったというお話。

いろいろ忙しいのである。明治維新。

▲ごめんなさい。
上記、おいらのブログ記事;「南洲顕彰館」で西郷軍は城山で全滅したと書いた。まつがい。残党が捕まって捕囚となりて仙台に来て、そしてすんだ(死んだ)のが今日の話。

ごめんなさい2。
ずつは、おいら、瑞鳳殿に来たのは生まれて2度目です。それも初めて来たのは4年くらい前で、仙台在住中はいつども来たことがなかったんだす。なぜって、当時は、おいらにとって伊達政宗とは、「町内会長」に過ぎなかったからだす。あなた、自分の町の町内会長が誰か知ってます? おいらは、世界像掌握の妄想に取り付かれていますた。ごめんなさい。

そんな当時、瑞鳳殿の近くに薩摩藩士の墓があると友人に聞いて、勝手に、あーそうか戊辰戦争の時に返り討ちにあって死んだ薩摩兵かと思い込んでいますた。って、いうか、伊達だの薩摩だのって、世界像を掌握すべしおいらにはどうでもいいことですた。ごめんなさい。

Watch your step!に気づく10年前のことだす。