草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

人格性において男女は平等で機能の違いは人間社会の妙味!

2021年03月11日 | 思想家
男女平等についてどう考えるべきかについては、様々な見方がある。一つ言えることは、男女平等についても良いものと悪いものがあるということだ。高山岩男は『哲学とは何か』でそのことに言及しており、傾聴に値する▼高山は「協同社会」という目標を掲げているが、人間はその人格性においては全く平等という考え方を示すとともに、人格性を数量的交換的に扱うことには異を唱える。肉体は数量化できても、心はそうした対象にはならないからである。一人ひとりの人格性のかけがえのなさがまず根本になければならないのだ▼その一方で高山は「機能上職能上の相違があればこそ、社会というものが成り立つ」と書いている。「男女の性別がなければ家族は勿論、人間社会が成り立たない」との立場なのである。今の世の混乱は、高山からすれば「人間社会を単色の結合社会と考え、人間の結合をひたすら機械的に考え、結合社会を一途に機械化してしまった。そしてこの社会が実際に不平等を現わすや、今度は平等を目指す闘争を演じるに至った」というのだ▼人格性に裏打ちされたのが真の男女平等なのである。「人格上の平等と機能上職能上の不平等とは矛盾せず、排斥し合うわけでもない。むしろ両者相俟つ故に人間社会の妙味があり、両者相補って人間社会の調和が成り立つのである」との高山の主張は、人格的平等に立脚しながら、機能上職能上の違いを認めるということだ。昨今はマスコミもポリコレ一色だ。それすらも男女差別という人たちは、世界を全て単色で塗りつぶしたいのだろうか。
コメント (1)
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