日本保守党は「国体を守る」という主張を掲げていますが、その根拠は明確にされなくてはなりません。天皇を「統治権総覧者」と位置付ける国体論は、国民主権の現行憲法で否定されて、天皇は「国民統合の象徴」となったからです。
それまでは大審院も「我ガ帝国ハ万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総覧シ給フコトヲ以て其ノ国体トナシ」と解釈していたのです。
和辻哲郎は後者を支持しました。長期にわたって「天皇が武力なしで権威を持続せられた」(『国民統合の象徴』)という歴史的事実から、「その権威が国民の総意の表現にほかならなかった」(『同』)とみたからです。
法哲学の尾高朝雄も和辻と同様な見方をしました。「革新の契機たる国民主権主義と伝統の要素たる天皇制とを新憲法の上に調和せしめ、明治憲法から新憲法へと巨大なる飛躍が行われるためにも、なおかつ、旧日本と新日本との間に一貫した『歴史の継続性』を認める余地が残されているであろうか」(『国民主権と天皇制』)との問題意識から、実力としての主権と、法の理念としての主権とを区別したのでした。
だからこそ、尾高は「ノモスの主権」という言葉を用いたのです。先の戦争の反省を踏まえて「国体」についても違った考え方を示しました。
「天皇が現実の政治の上で常に最高の決定権をもっていたということでもなく、そういう政治の形態が永遠につづくべきものと考えられていたということでもなく、現実の政治はすべて『常に正しい天皇の大御心』に適うものでなければならない、という理念の表現に外ならないからである」(『同』)
日本保守党が「国体」を語るならば、それがどういったことを意味するかを説明しなければなりません。天皇陛下を「玉」として利用するような者たちが、日本を誤った方向に引っ張ったのであり、断じてその轍を踏むことがあってはならないからです。
それまでは大審院も「我ガ帝国ハ万世一系ノ天皇君臨シ統治権ヲ総覧シ給フコトヲ以て其ノ国体トナシ」と解釈していたのです。
和辻哲郎は後者を支持しました。長期にわたって「天皇が武力なしで権威を持続せられた」(『国民統合の象徴』)という歴史的事実から、「その権威が国民の総意の表現にほかならなかった」(『同』)とみたからです。
法哲学の尾高朝雄も和辻と同様な見方をしました。「革新の契機たる国民主権主義と伝統の要素たる天皇制とを新憲法の上に調和せしめ、明治憲法から新憲法へと巨大なる飛躍が行われるためにも、なおかつ、旧日本と新日本との間に一貫した『歴史の継続性』を認める余地が残されているであろうか」(『国民主権と天皇制』)との問題意識から、実力としての主権と、法の理念としての主権とを区別したのでした。
だからこそ、尾高は「ノモスの主権」という言葉を用いたのです。先の戦争の反省を踏まえて「国体」についても違った考え方を示しました。
「天皇が現実の政治の上で常に最高の決定権をもっていたということでもなく、そういう政治の形態が永遠につづくべきものと考えられていたということでもなく、現実の政治はすべて『常に正しい天皇の大御心』に適うものでなければならない、という理念の表現に外ならないからである」(『同』)
日本保守党が「国体」を語るならば、それがどういったことを意味するかを説明しなければなりません。天皇陛下を「玉」として利用するような者たちが、日本を誤った方向に引っ張ったのであり、断じてその轍を踏むことがあってはならないからです。