三島由紀夫が右翼であったというレッテル張りをするつもりはないが、三島が林房雄との対談「現代における右翼と左翼」(『流動』昭和44年12月号)で、「右翼が左翼に戦後取られたものは三つあるんですね。一つはナショナリズム、もう一つは反体制、もう一つは反資本主義、三つ取られたでしょう。右翼がみんな持ってたんですよ。右翼は昔はナショナリズムを持っていた。反政府、反体制、反資本主義、反独占資本主義を持っていた。それをみんな取られた。九〇%取られたというんですよ」と言ったことが、今になって気になってならない。
「ネトウヨ」と呼ばれる人たちは、あくまでも自民党の補完勢力であった。だからこそ、今回のLGBT法案で裏切られたと騒ぐのである。しかし、それは本来の右翼の姿ではないのである。
三島は「右翼ができないことを左翼がやっている」と述べていた。攘夷論的反米主義は、日本学生会議などの一部の右翼を除けば、極左の中核派などの専売特許であった。彼らは「沖縄奪還」を叫び、首都中枢に内乱的な状況をつくりだそうとした。
佐藤栄作首相は、それをアメリカとの沖縄返還交渉のカードに利用した。日本はアメリカの言いなりであったが、日本国内に混乱が起きれば日米同盟が機能しなくなる。それを阻止するには、日本の言い分を少しは聞くべきだ、とアメリカに迫ったのである。
三島の対談相手であった林房雄も、元共産党だけあって、あえて「右翼がおとなしくなったら、自民党の手先になってしまう。自民党でないところに右翼の存在理由がある」と見方を示したのである。
三島は、靖国神社問題での大東塾の実力行使を評価した。「靖国の霊を国が神道の祭祀にしたがって顕彰し、弔うべきだ」という主張から、日本遺族会長であった賀屋興宣をぶんなぐったことを、「あの方法しかないからやったんでしょう」と容認したのである。
そして、三島は「ほかに方法がないということをやるために右翼団体というものがあるんだと思うし、塾というものがあると思うんだ。それはその姿勢を守らなければならない。それを捨てたらだめだと思うんですよね。あの人はその観点からあの事件についてちゃんとしていると思う」と語ったのである。
そうした実力行使を容認しただけでなく、三島は「義のために死ぬ」ということも口にしていた。自らの決起の一年ほど前のことであったが、口舌の徒の限界を感じていたのではないだろうか。