この難局を乗り切るにあたって、政治家はどのような態度で望むべきかを教えてくれるのが、岡義武の『明治の政治家』である。とくに興味を覚えたのは「初代首相・伊藤博文」であった。安倍元首相と同じように暗殺されたのだが、幅のある政治家のように思えた。
それが政治家として相応しいかどうかは、簡単には決めつけられないが、今の政治家とはどこか違っていた。とりわけ外交についてはそうであった。明治維新の大変な時代をくぐり抜けてきただけあって、軍事力の行使による外交問題の解決と、政治的に極端に一方に偏することを嫌った。
日本が表舞台に出ることで、欧米列強の反撃を誘発することを危惧したのである。日清戦争も日露戦争も、で伊藤は平和的に解決することを切望した。いくら勝って短期的には成功ではあっても、必ず欧米列強との対決は避けられないと考えていたからだ。日英同盟に一辺倒にならずに、伊藤が日露協商にこだわったのは、バランスを考えてのことであった。
伊藤はよく口にしたのは「喬木(きょうぼく)風多し」であった。高い木のように目立てば目立つほど、人から妬まれるということである。明治の元勲にありがちな暴走を、ことさら嫌ったのである。
また、伊藤の演説はアジテーターのようなものではなかった。自分の主張を述べる際にも「斯くあらうと存ぜられる」「其様のことはあるまいように思はれた」というように、回りくどい表現をして、婉曲に語尾を結んだ。
岡は「演説の際の伊藤のこのような表現方法も、実は闘争性の比較的少い性格と関連するものと思われる」と書いている。
明治維新の元勲として超然主義の中心にいた人間が、民党の政友会のトップの座に就いたのは、ある一つの立場に固執せず、国家国民のことを考えたからなのである。私生活では品行方正ではなかったいとうだが、それで断罪するのはあまりも酷である。
今の政治家にない、そういた胆力が伊藤にはあったからこそ、指導者として仰がれたのである。今も政治家も学ぶべき点が多いのではないだろうか。戦争にならないための外交努力、政治を妥協の産物と考えるという手法は、民主主義における鉄則でもあるからだ。
政治家を抜きには政治を語ることはできない。岡の『明治の政治家』を読んで、なおさらのことそれを痛感した。