LGBT法案の自民党執行部の強行と、その成立に手を貸す左翼勢力に対して、私たちは何をもって対抗すべきなのか。それは明治維新から神風連、西郷党の一部、北一輝から2・26事件、三島由紀夫の決起へと連なる純粋尊攘派の立場ではないだろうか。
そうしたラディカリズムが日本人に流れていることを問題にしたのは、三島由紀夫の諭敵であるとともに、良き理解者であった橋川文三であった。
「最近の三島がそのままかつての『尊皇攘夷』派に似ているように思っているが、いうまでもなくそれは冷笑の意味ではない。私は、およそある一つの文化が危機にのぞんだとき、その文化が『天皇を賛美せよ!野蛮人を排斥せよ!』と同じ叫びをあげるのは当然のことだと思っている。それはほとんど危機におかれた人間の生理的反射に似た現象であり、日本にかぎらず、それぞれの時期において人類史上の普遍的な現象であると思っている。とくに日本のように社会組織の有機的性格が濃密な地域では、危機への反射的反応はそれだけ強烈であるのは当然である」(『三島由紀夫論集成』)
丸山眞男の弟子であり、その系譜に属する橋川ですら、日本人の怒りを爆発させる『尊皇攘夷』派を問題視したのである。橋川は思想的根源にあるのは「国学的ユートピア」と呼んでいるが、アナクロニズムと一笑に付すことができない破壊力があることは事実である。
アメリカや、その言いなりになった岸田首相は、そこまで考えがなかっただろうが、LGBT法は日本文化の根本を否定するものであり、それへの反発が大きいのは当たり前である。
政治学者であるにもかかわらず、橋川は『尊皇攘夷』派の有効性についてはあまり立ち入らない。しかし、日本が国家としての自由を奪われたままの戦後が未だに続いており、日本人の不満の限界は頂点まで達している。右からのラディカリズムがアメリカへの警告として、無視できない力を発揮するのである。
もはや自民党までもが頼りにならなければ、橋川が述べているような政治的潮流が勢いを増すのだろう。日本人が忘れていた『尊皇攘夷』派のパトスを目覚めさせたのは、誰あろう岸田首相その人なのである。ここまでくれば穏便に済むわけがないのである。
外国人が増え、混血が進む可能性が高いと、
いつまで天皇陛下を敬愛する国民が多数派でいられるか、
とても心配です。