草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

保守思想家竹山道雄の死生観に学ぶ

2023年12月02日 | 思想家
 竹山道雄のような思想家はもういなくなったようだ。本当の保守というのは竹山のような人を指すのだろう。
 その竹山の一言は、老いてしまった僕にとっては、救いの言葉であった。竹山は「しかし、どうせ死ぬのである。無に帰するのである。どうしても避けられないものならそれをありのままに覚悟して、たまたま生をうけたこのたまゆらの世界を末期(まつご)の目をもって眺めて、刻々に新鮮に見納めたい」(『主役としての近代』)と書いていたからだ。
 男の人の健康寿命は、せいぜい70代前半である。繰り返し僕が述べているように、時間があれば旅をしたいと思っている。それが隣り町であっていいのだ。さり気ない発見が新鮮に思えてくるからだ。本を読むこともそれと似ている。死ぬまで新しい知識を吸収したいのである。
 残された時間はあっという間に過ぎてしまうだろう。僕としても、竹山のように「刻々に新鮮に見納めたい」というのが、ささやかな願いなのである。

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