今の日本で起きていることを理解する上で、僕が何度も読み返しているのは、エリック・ホッファーの『大衆運動』(高根正昭訳)である。そこで述べられているのは、大衆運動が正義であるかどうかというよりも、どのようなメカニズムによって成立するかなのである。
沖中士として肉体労働に従事したホッファーは、インテリの見方というよりも、一肉体労働者として、自らの中にその原因を見つけ出そうとしたのだ。
常軌を逸した昨今の日本の状況は、理性的な判断が付きかねない。そこにはまともな判断力というよりも、批判のための批判であり、破壊のための願望が見え隠れするからである。
ホッファーは「捨てられた人、拒絶された人は、国家の未来の土台となる場合が多い。建築者に取り除かれた石が、新しい世界の礎石になるのである。社会の屑も反抗者もいない国家は、きちんとし、上品で、平和で、心地よいかもしれないけれども、おそらくうちに将来の種をもっていないであろう」と書いていた。
そして、ホッファーは「言論人によって開拓され、狂信者によって具体化され、活動家によって強化される」とも指摘した。それぞれの段階を追って、物事は現実化していくからである。
もともとは『大衆運動』の原書の表題は「忠実なる信仰者」であった。欲求不満の状態を自らを救い出そうとして、大義に殉じるという方向に大衆を駆り立てるのである。信仰という情念とは無縁ではないからである。保守的な言論人であったホッファーは、扇動しているわけでなく冷静な分析を行ったのである。
現時点では、日本を貶めるようなオールドメディアの言論が幅を利かせているが、それは一時的な現象のように思えてならない。戦後民主主義のぬるま湯に嫌気を差した人たちは、新たな運動に決起するのではないだろうか。世に報われない人たちの行動であろうとも、それは否定されるべきではない。それ以外に日本を取り戻す術はないのだから。混乱が最小限におさめるようにすればいいのである。