中国共産党の習近平が裸の王様であることは明らかだ。今回は新型コロナ対応のロックダウンに反発して、学生が中心になって立ち上がったが、それを抑え込むのに必死になっているのが習近平である。顔認証などのIT技術を駆使して、民衆をどこまでコントロールできるかである。
中国の警察や軍隊はどうして裸の王様に反旗を翻さないのだろう。彼らが忠誠を誓っているわけではないだろう。それこそ大部分は民衆の出であり、親たちの苦労を知っているはずだ。にもかかわらず、忠実な番犬になっているのは解せない。
魯迅先生が書き残した文章の多くは、今の中国共産党に向けられた矢でもある。権力に従順であった、漢民族の絶望的な歴史を突き抜けた言葉を発したのである。
「私は、中国人が蓄積し来った怨恨はすでに十分ある筈だと思う。勿論それは、強者の蹂躙の結果である。だが彼らは、強者に向かって反抗しようとはせず、逆に弱者の上に洩らそうとする。兵と匪とが相争わず、武器なき人民が兵匪雙方(そうほう)の苦を受けつつあるのは、最も手近かな証拠である。もっと露骨に云えば、それはこの連中の卑怯を証明するのではないか。卑怯な者は、万丈の噴火あるも、弱草のほかは何も焼くことは出来ぬ」(『雑憶民国十四年)
また、魯迅先生が青年に示した目標は「第一に生存」「第二に充足」「第三に発展」であった、今の中国共産党は、それらを実現する気などない。民衆の命は虫けらのように扱い、一部の特権階級以外は貧困に苦しんでいる。独裁共産主義体制の下では、経済の発展など望むべくもない。
中国の現在の総人口は14億といわれているが、特権階級の共産党員は一握りである。魯迅先生の言葉を実行に移そうとするならば、革命が起きて当然なのである。