日本の皇室によって平和を愛する国柄が維持されてきた。それは日本人共通の願いであり、それを体現されてこられたのが歴代の天皇陛下であられた。日露戦争に際して、明治天皇が詠まれた御製がそのことを物語っている▼「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」「民草のうへやすかれといのるよに思はぬことのおこりけるかな」「年経なば国のちからとなりぬべき人をおほくも失ひにけり」。保田與重郎は「明治の精神」において、それらの御歌について触れている。暴力の海に乗り出さざるを得なかった我が国は、植民地になることを拒否するがゆえに、武器を手にするしかなかったが、それは悲しみに満ちていたのである。弱肉強食の欧米のように、勝てばよいというものではなかったのだ▼保田の御製の解釈が胸を打つのは、明治天皇が卓抜した詩人であることを、私たちに教えてくれるからだ。「明治天皇の御製の示さるゝようにこの戦争はまことに平和主義のために戦われた。こんな決意の戦争はないのである。平和主義に発してゐたゆゑに、天皇は戦争をつねに懼れさせられた。この歌にはまことに畏くも『正述心緒』と題されてゐる所以である」。激動の御代を生き抜かれた昭和天皇も、同じように明治天皇の御思いを受継がれたのである。新天皇の即位の式典を終えて、今こそ我が国の国柄について、私たちは思いを致すべきなのである。
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「『歴史、慰安婦、独島(トクド、日本名・竹島)問題に対して我々はあまりよく知らなかった。これまで関心を高く持つことができなかったようだ』
2017年8月、高井崇志・立憲民主党議員がパク・チャンデ共に民主党議員との私的な食事の席での言葉だ。『人権的次元で韓国側の感情に十分共感して理解する』と伝えながらだ。韓日議員連盟社会・文化分科の幹事であるパク議員は、当時ある在日事業家の紹介で高井議員と初めて顔を合わせた。『同じような年齢の議員同士、形式的な団体ミーティングを越えて個人的に積極的に疎通しよう』という両側の要求によって設けられた席だった。
彼らは3年間、毎年「夏の親善交流」を続けている。今年は韓日関係が冷え込んでいるにもかかわらず、今月13~14日、日本の中央・地方自治体議員6人が韓国国会を訪問した。パク議員は『中谷一馬氏、山崎誠氏ら高井議員と同じ路線の立憲民主党衆議院4人と神奈川県議会および基礎地方自治体議員など2人が韓国を訪問した』と18日、話した。韓国ではパク議員とキム・ビョンウク議員が迎えた。」(2019/8/19 韓国紙)
ある“在日事業家”の紹介だそうだ。「独島問題に対してあまりよく知らなかった」! 高井崇志たちが言ったことを忘れずにおこう。こんな連中が国会・自治体議会を闊歩していることを忘れずにおこう。