飯山陽さんが日本保守党のガバナンスや政策を問題視することに対して、百田氏や有本氏が討論に応じないという対応は、国政政党のやるべきことではない。
いかに新興政党とはいえ、左翼の独善性を批判してきた保守の立場に立脚すれば、飯山さんを擁護するのは当然の成り行きである。お互いに議論をたたかわせることによってのみ、私たちは真理に近づくことができるのである。
ジョン・スチュワート・ミルは、自由な言論を抑圧する最悪の行為は「反対意見を抱いている人々に不正で不道徳な人物という烙印を押すことである」(『自由論』塩尻公明、木村健康約)と書いている。批判者として、飯山さんに対する人格攻撃はあまりにも異常である。百田氏や有本氏は、保守系雑誌が紙面を提供すると言っているわけだから、堂々と反論をすればよいのである。
ミルは言論の自由の意義を四つの観点から説いている。①絶対無謬性などありえない②沈黙された意見にも真理の一部分が包含されている③自分たちの教説の合理的根拠を理解することができる④真理とされる教説が単なる信条告発となるーからなのである。
他者を説得しようとすることで、見えないものが見えてくるのである。そこから逃亡し、反対者を抹殺しようとする政治党派は、右であれ、左であれ、断じて容認することはできないのである。