西郷隆盛は「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を取ものして国家の大業は成し得られぬなり」(『南洲遺訓』)と述べています。
しかし、日本保守党に代表されるビジネス保守と呼ばれる人たちは、金儲けに奔走し、それが正しいことであるかのように勘違いしています。金しか頭になければ、それで言論が左右されてしまいます。さらに、社会的な地位を目の前にぶら下げられると、それに飛び付きたくなってしまうのです。損得勘定で判断するからです。
もっとも重要なことは、命を捨てる覚悟があるかどうかです。それは極論ではありますが、自分の言葉に責任を持つということです。
保守が結束して戦後レジームからの脱却を目指すべきときに、ビジネス保守に振り回されてはなりません。犬笛で人々を扇動するような者たちを許してはなりません。
西郷と同じように、吉田松陰も「僕と所見違ふなり。その分れる所は僕は忠義をする積り、諸友は功業をます積り」との書簡を残しています。ビジネス保守は笑止千万で本来であれば相手にする必要もないのですが、本物の保守でないことを天に示す意味でも、彼らを批判することをためらってはならないと思います。