習近平は第二の毛沢東になろうとしているのではないか。自己の権力の維持のためには手段を選ばなかったのが毛沢東であり、極端な個人崇拝も彼が望んだのであった。習近平もまた同じように独裁者を目指しているのである▼現代中国史の謎とされているのが林彪事件である。日中戦争や国共内戦で大きな役割を果した林彪は、1966年8月に開催された中国共産党の第8期11中全国大会では副主席となり、1969年4月の第9回中国共産党大会では、毛沢東の後継者の地位を獲得した。しかし、ある日突然林彪は姿を消した。毛沢東暗殺を企てて失敗し、ソビエトに飛行機で亡命しようとしたが、モンゴルで不時着に失敗し、1971年9月13日に死亡したといわれている▼今注目されているのは、林彪の息子の林立果が書いたとされる「五七一工程紀要」である。「林彪派のクーデタ計画書」と呼ばれるもので、そこでは毛沢東独裁を糾弾していたからである。「彼(毛沢東)は真のマルクス・レーニン主義者ではなく、孔孟の道を行うものであり、マルクス・レーニン主義の衣を借りて、秦の始皇帝の法を行う、中国史上最大の封建的暴君である」。自分のエゴで民衆を煽って内乱を起こした毛沢東を「中国史上最大の封建的暴君」として批判したのである▼中共は韓国を服属させつつあるばかりか、香港から自由を奪うとしている。第二の毛沢東に身構えなければ、我が国もまた中共の属国となるしかないのである。
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これだけである。つまり、「素晴らしい朝鮮民族は、高麗も朝鮮も自立して立派にやっていたのだが、日本とモンゴルがブチ壊してしまった」と、言いたいのだ。
後世についても、同じ構図で語られる。
「『優秀な韓国はもっと豊かになれるはずだったのに、日帝の搾取のせいでそれが遅れ』『精神的主柱であるべき名前や文字、国王を日帝に奪われた』『韓国人は仲間内で足を引っ張り合うことなく、団結して日本帝国主義に勝った』
このように何でも日本のせいにすれば、複雑な国内事情や党派争いを暴露する必要もなく、民衆を発憤・感動させやすい。おまけに日本には反日日本人・進歩的文化人なる厄介な存在があり、自ら団結して反日・反国家教育を押し進めてきた。こうして国外と国内で反日が手を結び合うという奇怪な現象に至っている。」(『立ち直れない韓国』黄 文雄)
一方わたしたちは、「李朝の社会がどれほど、おぞましいものであったのか、李朝時代がどのような歴史的な経緯によってもたらされたものか、ということを知らずには、今日の韓国人の心理や、その行動様式を理解することができない。
北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国と称しているが、李氏朝鮮がまさに名前だけ変えて存続しているといえる。文字どおりの虐政が行われており、民主とも、人民とも、まったく無縁である。李朝という下敷きがなければ、北朝鮮のような体制は出現しえなかったろう。
韓国は・・・国内における民主的覚醒が進んでいるものの、青瓦台として知られる大統領官邸への権力の過度の集中や、法を軽視した人治主義や、収賄構造が深い根を張っているのは、韓国民が李朝の呪いから抜け出すことができないからである。
李朝では、権力がすべてだった。権力の座にすわった者が、暴虐の限りを尽くした。法は権力者によって、好き勝手に用いられた。権力の奪い合いは、凄惨をきわめた。民衆はただ搾取の対象となった。
権力者は美辞麗句を弄(モテアソ)んだが、人命も、道徳も、顧みることがなかった。民衆は苛酷な社会のなかで生き延びるために、偽ることが日常の習い性となった。」(「朝鮮史」萬 遜樹)と見ている。その史実は、これからさらに明らかにされる。