根無し草な個人主義は混乱を増長させるだけなのである。グローバリズムを正当化するために持ち出されるのはハイエクである。社会主義や計画経済を否定するハイエクの主張は、権力の介入を拒否するという観点では、それは正しい見方かも知れないが、その前提となるものがあることを私たちは忘れてはならないのである▼ハイエクは「真の個人主義は家族の小さい共同体や集団のあらゆる共同の努力を肯定すること」(『市場・知識・自由』田中真晴、田中秀夫編訳)と書いていた。そこでとくに強調されるのは「自由な社会において成長する伝統と慣習」なのである。「ある人びとの集団のなかに共通の慣習や伝統があると、そのような共通の背景がない集団にくらべて、形式的な組織と強制がはるかに少なくて、人びとを円滑にかつ効率的に協力させることができることは、いうまでもなく常識である」とまで述べていたのだ。まさしく保守主義の主張ではないだろうか▼伝統や慣習をないがしろにし、私たちの足場を突き崩そうとする者たちは、結果的に全体主義のファシズムや共産主義の片棒を担ぐことになるのだ。真の個人主義の意義を説いたハイエクの根本は、伝統を重んじる保守なのである。
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