今の安倍内閣は中共に媚び過ぎである。コロナウイルスによる新型肺炎でパンデミックになっているのに、武漢への渡航制限が出たのは昨日のことである。すでに武漢は封鎖されており、対応が後手後手に回っている▼24日から春節で多くの人間が日本に入ってきている。もはや打つ手は残されておらず、ただただ神に祈るだけである。これほどまでに安倍内閣が無能だったとは、予想もしなかった事態である。野党や野党で、桜を見る会で騒いでいるだけである。武漢の赤十字病院では、遺体が床に放置されており、中共当局の発表よりは、はるかに深刻な事態になっていることを物語っている。私たちは自己防衛するしかない。人混みのなかに行かないとか、マスクをするとかは最低線のことである▼アメリカ財務省は、安全保障上の観点から、対米投資を規制する対米外国投資委員会の届け出を免除する「ホワイト国」を公表したが、そこに日本は含まれなかった。昨年秋に改正外為法を成立させたにもかかわらず、アメリカからは信用されていないのである。日本の財界が中共とズブズブであり、スパイ防止法もないのだから、そうした措置が講じられても、現状ではどうしようもないのである。中共に媚びる政治に待ったをかけなくてはならない。それが私たちの命と暮らしを守ることに直結するのだから。
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薄味の鍋を食べながら、「そうそう、鍋と言えば、昔、大蔵官僚が接待で“ノーパンしゃぶしゃぶ”に行ったなんて事件があったなあ~。やっぱり、酒と女と金か~」と、薄ぼんやりと思い出していたら、ハムスター女が話しかけてきた。「ねえねえ」。
ハムスターが、ヤギのように話しかけてきたら、要注意である。おおむね、金にまつわる相談である。そういう時は、木で鼻を括ったように、「何でしょうか」と素っ気なく答えなければならない。
「今日は、この後、ポカポカ温泉に行きたいんだけど。ほら~、地下1500メートルからのお湯だから、やっぱり身体の芯まで温まるし、あと少しでスタンプも満杯になるし」と言うのである。「今月は1回行ったから、今日はパスしたら」と答えたら、ハムスター女が叫んだ。「ちっちぇー、おめえの器は、おちょこだな」(彼女は、最近、漫談のねずっちの「嫁ネタ」がお気に入りで、そのパクリである)。普段は、「ハイハイ、器と肝とアレは小さいですから」と、あしらうのである。
ただ、明後日にはまた義母の病院付き添いもあることだし、サービスしておこうかと、ネズミ男はオッケーしたのである。ひとり静かに読書ができると思ったからでもある。
そして、三浦つとむ『唯物弁証法の成立と歪曲』に取り掛かった。なぜなら、ネズミ男のように非力な者がヘーゲルのような山によじ登るためには、それを助けるハシゴが必要だと思ったからである。
共産党系「哲学者」の名前が、たくさん出てくる。ミーチン、デボーリン、山田坂仁、甘粕石介、松村一人、原光男。共産党員の「独習文献」に指定された書籍を書いた者もいたに違いない。だが、読むに堪えるものは、何ひとつ残っていない。「まぼろし~」と笑うしかない惨状である。
それはさておき、最初の一篇を読んで、ネズミ男は思ったのである。「日の下に新しきことなし」。「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」(コヘレト)のだと(この感想が、非弁証法的だとしても)。
こんな文章がある。「わたしたちは、ずいぶん威勢のいい観念論批判をいくつも知っている。反動的だ、階級的敵対だ、ファシズムの宣伝だ、神学だと、西田哲学、田辺哲学が攻撃されている。自ら弁証法的唯物論者と名のる人々の、こういう論文は、はたして真に『弁証法的唯物論』の名に値するヨリ聡明な理論であろうか。・・・これらの多くの論文も観念論者を何ら反省させることができず、読者大衆を充分納得させることすらできないという事実は、観念論者がどれもこれも頑迷で、大衆の意識が低いためであろうか。いまの唯物論哲学者は、幾人かの例外を除いて、ただ『否認』をもって事足れりとする俗流唯物論者であり、これによって観念論が消滅するものと思いこんでいるのである。」
まさしく今、自ら「知識人」リベラルと名のる人々も、レイシストだ、ファシストだ、歴史修正主義者だとネトウヨを攻撃するが、何ら反省させることができないし、大衆を「反知性主義」だと軽蔑して「否認」するだけの、俗流リベラルなのだろう。