欧米人と日本人とは、まったく違った価値体系のなかで生きている。それを教えてくれるのが構造主義であり、ポスト構造主義である。しかし、悲しいかな日本には、それをまともに論じる学者が皆無なのである。構造主義の手ほどきをしてくれる本としては、内田樹の『寝ながら学べる構造主義がある』。内田は構造主義を一言で定義する。「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんど場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に『見せられ』『感じさせられ』『考えさせられている』」。一言にしてはかなり回りくどい言い方ではあるが、平成の世に生きる日本人の思考も、あらかじめ決まってしまっているというのだ。それは同時に、欧米人にもあてはまるのではないか。彼らだってそうした制約化にあるのだ。自分たちだけが真理だと思うのは、それこそおこがましい話ではないか。真理は一つという西欧社会にノンを突き付けたのが構造主義であった。それの解説で飯を食べている学者が、日本の社会や土着大衆を馬鹿にするのは、構造主義読みの構造主義知らずだからだろう。それに対して私たち土着大衆の日本人は、日本人であることを断固主張すればいいのである。
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