創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

補厳寺(ふがんじ)参る 幽霊8

2013-08-12 13:42:38 | 創作日記
いつの間にか、補厳寺に戻ってきた。門を通り、渡り廊下の階段を上がり、廊下に腰を下ろした。控え室の灯りは消えていた。門のかがり火がかすかに届く。その明かりに、庭の奥にある建物が見える。あれが庫裡なのだろう。
「翁(おきな)様」
女が言った。ぼんやりと白い単衣を着た男の後ろ姿が浮かんだ。男の足は地面から一尺ほど浮いていた。彼は、空中を歩いているのだった。
「翁様は私たち親子を招き入れて下さいました。そう、あなたが座っているそこに腰を下ろして」
「何せうぞ くすんで一期は夢よ ただ狂へ」
母様が歌い、私は舞いました。
「花の都の経緯(たてぬき)に 知らぬ道をも問へば迷はず 恋路など 通ひ馴れても迷ふらん」
花びらが一つ、風に運ばれてきた。そして白い蝶になった。
「阿茶(あちゃ)様、姿を見せて下さい」
僕は言った。鈴のような笑い声が、庭を駆け巡った。
「阿茶は踊りが上手でございます」
奥様がおっしゃいました。
「ほんに、わしが教えたいものじゃ」
翁様が、おっしゃいました。
「よしや頼まじ 行く水の 早くも変る人の心」
空中に浮かんだ男が一節歌って、くるりと舞った。それと同時に、阿茶(あちゃ)様の声も、歌も、男も消えた。