誰かが挨拶を始めた。町長選の時によく聞いた声だ。
「補厳寺は町の宝でありまして」
「よく言うなあ、ほったらかしにしよって」
老人が言った。
「どちらにお住みですか?」
妻が聞いた。
「補厳寺にお世話になっています」
妻は不思議そうな顔をした。補厳寺は無住だと知っていた。
「お一人ですか」
「ほっ、ほっ、沢山といるといえばそうだし、一つだといえば一つですよ」
老人は、奇妙な笑い声を立てた。澄んだ鈴の音みたいだ。妻もつられて笑った。
「お食事も大変でしよう?」
「ほっ、ほっ、娑婆の人は大変だね。私は食べることもない、眠ることもない、しがらみが何もないのです。ほっ、ほっ」
妻は老人が正気でないと思ったのだろう。話を変えた。
「私、能は何にも知らないんですよ。ノー」
「ほっ、ほっ」
親父ギャグが分かっているのだろうか?
「分かるように舞いましよう」
妻は、2,3回ブランコを漕いで、「はっ」と言って飛び降りた。代わりに僕がブランコに座った。挨拶は終わっていた。
「始まりますよ」
僕は言った。
「そろそろ行きましようか」
いつの間にか、能面をつけていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d5/52ce76cec58b6b2bd435874f84600875.jpg)
子供の面だと分かった。すっと立ち上がった老人は童子になった。
「月光がさしても目に見ることは叶わない。月にうとく、雨の音も聞くことができない藁家の暮らしは本当にわが身ながらもいたわしいことだ」
謡いながら、補厳寺の門に消えた。
「補厳寺は町の宝でありまして」
「よく言うなあ、ほったらかしにしよって」
老人が言った。
「どちらにお住みですか?」
妻が聞いた。
「補厳寺にお世話になっています」
妻は不思議そうな顔をした。補厳寺は無住だと知っていた。
「お一人ですか」
「ほっ、ほっ、沢山といるといえばそうだし、一つだといえば一つですよ」
老人は、奇妙な笑い声を立てた。澄んだ鈴の音みたいだ。妻もつられて笑った。
「お食事も大変でしよう?」
「ほっ、ほっ、娑婆の人は大変だね。私は食べることもない、眠ることもない、しがらみが何もないのです。ほっ、ほっ」
妻は老人が正気でないと思ったのだろう。話を変えた。
「私、能は何にも知らないんですよ。ノー」
「ほっ、ほっ」
親父ギャグが分かっているのだろうか?
「分かるように舞いましよう」
妻は、2,3回ブランコを漕いで、「はっ」と言って飛び降りた。代わりに僕がブランコに座った。挨拶は終わっていた。
「始まりますよ」
僕は言った。
「そろそろ行きましようか」
いつの間にか、能面をつけていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d5/52ce76cec58b6b2bd435874f84600875.jpg)
子供の面だと分かった。すっと立ち上がった老人は童子になった。
「月光がさしても目に見ることは叶わない。月にうとく、雨の音も聞くことができない藁家の暮らしは本当にわが身ながらもいたわしいことだ」
謡いながら、補厳寺の門に消えた。