創作日記&作品集

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連載小説「もう一つの風景(16)」

2016-02-26 07:27:11 | 創作日記
もう一つの風景

16

 一人分ずつプラスチックの盆に飯や汁をのせ配膳のストレッチャーに入れる。配膳係りが重いストレッチャーを押して消えると、朝の一段落がつく。男たちは煙草を吸いに出て行き、鍋や釜を洗う女たちが、つまらない冗談や、噂を始める。房子は床に水を流す。
「そんなんは、昼からでええやろ」
 頭に白いものの目立つ一番古参の女が刺すような目付きで言う。汚れに気がついたら、こまめに水を流せと昨日言ったのは誰だ。房子は黙って女を睨む。
「なんやその目は」
 房子の視線をそらして、女は言い、顔を反転させて、両隣の女に同意を求めるように交互に顔を窺う。二人の女は黙って鍋を洗っているふりをしている。手が止まり、これからどんなやりとりがあるのかと身体中を耳にしている。その時、ふらっと栄養士が入ってきた。病的なほど細い身体と青白い顔が、この病院の栄養士という名にふさわしい。年下の調理師と関係があるという噂があった。秋になって一週間休んだのは、その男との間に出来た子をおろしたのだという噂があとに続いた。
「みんな手洗いだけはちゃんとしてや、いつもいうてるように、ここまで石けんでようあろて、そのあと消毒液で洗う、そして、水でよう流す。手ぬかんといてな」
 ほそい腕を肘までまくって言った。眼鏡の奥の糸のように細い目を見るとどんな顔をして男とやるのだろうと、つまらないことを考えてしまう。
 九時に配膳車が汚れた食器と食べ残しを積んで帰ってくる。
 女二人は調理師と昼の支度を手伝い、房子とUは、洗い場にうずたかく積まれた汚れた食器を洗う。
 Uは殆ど喋らない。黙々と洗い続ける。子供のように小さな身体が何かに耐えるように動いている。二人の女はUを馬鹿にしていて、嫌な仕事を押し付ける。「ゴミやゴミ」「残飯、残飯」女がそう叫ぶと、Uは走って行く。古参は煙草を買いに行かせ、つり銭が違っているとからかう。Uがどぎまぎして、計算をやり直すのが面白いのだ。房子は二人に組しないし、かといってUを庇いもしない。下手な正義感なんてつまらないし、気にいらなければUが女たちに噛みつけばいいのだ。同じ所で働いているだけで、それぞれが他人なんだから。To be continued