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もう一つの風景
11
あれから毎年、豊美がやってきた。良一を林の家に貰いたいという話だった。房子は涙が出る程笑って断った。
豊美の話は少しずつ調子が変わっていった。離れに二人で住めばいいという話になり、夏休みに良一に遊びに来て欲しいと哀願するようになった。相手が段々と年をとり、弱っていくのが分かり、房子には小気味がよかった。
あの人は光雄と私達の生活がどんなものだったか全く知らない。また、知ったところで、それは私の所為(せい)だと言い張るに違いない。あなたの学者タイプでかっては優秀な教員であった筈の息子は、浮浪者の姿で、病院の廊下で、点滴の管をつけたまま死んでいたのだ。私達の前から姿を消し三年間も行方不明になった末の出来事だ。
房子の態度が変化したのは、俊(しゆん)徳(とく)道(みち)の駅のホームで義母を見かけた時からだった。目を細め幸せそうな表情で立っていた。
案の定家に帰ると、良一が真新しいラジオを持っていた。房子はその様子をぼんやりと眺めていた。駅の売店で昼間働き、夜は小銭の金貸しをやり、金の感覚や生き方が少しずつ変わってきた頃だった。なんにもならない意地が馬鹿らしくなった。あの人も利用できたら、した方が私等の得だと思った。
その年、豊美がきた時、出来るだけ恩ぎせがましく、夏休みに林の家に行くのを認めた。
「おばあちゃんとこ行ったら、おいしいもの食べさしてもらえるし、いろんなもん買うてもらえるんやから」
豊美の前でそう言って送り出した。
それから五年経って、義母は死んだ。
良一と二人で行って、貰えるものは貰わなくてはと房子は思った。
その日、豊美から二度目の電話があった。 良一を迎えに行くという。自分も行くからと断ると、言いにくそうに死ぬ間際の義母の言葉を豊美が伝えた。
自分が死んでも、あの女を家に入れるな。良一はいい子だが光雄の子ではない。
「良ちゃんのことは誰も本当やと思もてしまへん。光雄さんによう似たはるんやから」
「なんや、知ったはったんかいな。良一には林の血なんか流れてへん」
叩きつけるように受話器を置いた。
あほやったなあと後で思った。あの時、算盤いれちがえた。
あれから、林の家からはなにも言ってこない。しかし、良一の仕草に光雄を見る時、あれでよかったんだとも思う。そして、房子の身体にのしかかる光雄の姿に良一が重なり、ふと、目を逸らす。
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To be continued