創作日記&作品集

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連載小説「もう一つの風景(3)」&今日の一句

2016-02-13 13:21:53 | 俳句
今日の一句
ハクションが入れ歯を飛ばす老いの春


もう一つの風景


 配達にでるのは久し振りだ。信也が上手に割振を立て小型のライトバンでみんなやってしまうから庄三に出番がない。
 頬にあたる風が気持いい。これに小さな水滴が混じればもっと気持いいだろう。
 商店街を通り抜け、駅前の公園を斜めに抜けようとした時、「老人憩の家」の前で掃除をていた女性が庄三に声をかけた。庄三は自転車を停めた。
「なんや、房子はんかいな。どうしたん、今日は日曜日ちゃうのに」
「春休みやさかい、店が暇で臨時休業にしたんはええけど、今度は身もてあましてしもて、ちょっときれいにしとこか思いましたんや」
「それはご苦労さんなことや。おおきに」
「このごろ、ちっとも出てきやらしませんなあ」
「ここんとこちよっと忙しいて。今も配達の途中や」
「ああ、せやったら邪魔したらあかんわ」
 大通りの信号を待ちながら、ここ数年見ないうちにこのあたりもすっかり変わってしまっているのに気づいた。いつの間にか高層マンションが建ち、道路幅を広げる工事が真最中だった。薬局も印刷所も削り取られたように消えていた。自分の周りもそうかもしれない。自分の周りの変容は、日々の生活の中に埋もれて気づくことが少ないからだろう。
 思ったよりも遠くに来たように思う。歳をとったせいだろうか。それもあるだろうが、土地の変化に気後れしているのも確かだ。
 大通りを渡り、四つ角を左に曲がる。自転車が急に軽くなる。二股道を身体を右に倒してカーブをきるように入って行く。小さな家が建て込んだ集落に入る。細い道が中央に走っているだけで、家と家の間は、幅が一間もない路地だ。全てが知っている路地だ。あそこには誰それの家があった。あそこの婆さんはまだ生きているのだろうか。家族構成まで頭に浮かぶ。家や人は変わっていても、路地は昔のままだ。生活の為に無数に踏みしめられた路地は、庄三の中の路地と同一のまま残っていた。
 時々知っている顔にも出会う、彼らも庄三も十年以上の時を埋める一瞬の暇がなく通り過ぎていく。
 頬に冷たいものがかかった。春雨らしくないかなり激しい降りだ。人々は亀が頭を引っ込めるように家に入る。
 雨にけむった路地の奥に黄色い傘が小さな花のように開いた。 To be continued