
もう一つの風景
10
ガード下にぶら下がった看板の「桁下制限2M」と書かれた文字。所々ペンキが剥げ、錆びがあらわな赤い文字に見詰められていた頃の生活。
三軒続きの長屋のもっともガード寄りの六畳一間の家だった。
光雄の葬儀の時、僅かな数の樒(しきみ)さえ並ばずに、隣の間口を借りた事を思い出す。細かい雨が絶え間なく降り注いでいた。近所の人が参列者の殆どだった。家の外で雨を話題に談笑し、敷居を跨ぐと急に神妙な顔になり、殆ど顔も知らないであろう光雄の写真に手を合わせ、一仕事終えたようにそそくさと帰って行った。
火葬場まで行ったのは、房子と良一の二人だけだった。係りの人の言う通り骨を拾った。貝がらのように白く、そして軽かった。箸でつまむと崩れそうな気がした。
雨が霧のように細かく流れていた。係りの人にバス停までの道を聞き、良一と長い坂を下った。胸に当てた箱の中で、骨がカサカサと音をたてている気がして、時々立ち止まり耳を澄ました。
「おかあちゃん、なんで、昨日あんなことしたんや」
房子より背が高くなった良一が呟くように言った。
房子は立ち竦む足を、ただ動かすことにだけ集中した。
「なんのことや」
房子は、骨がカサカサと音をたてるのを聞いた。
良一は口を噤んだ。
「昨日はなんやかやあったから、うちは一睡もできなんだ。あんたもえらいうなされてた。よう寝てへんねやろ」
「なんか寝言いうてたか?」
「いや、何回も寝返りしてた」
「そんなら、夢か、なんちゅう夢みたんやろ」
「どんな夢や?」
「夢の話、聞いてもしゃないやろ」
晩秋の霧雨の中を、二人は一度も振り返ることなく歩いた。
家に辿り着くと、既に樒は片付けられていた。
「えらい遅うなって、すみません」
肩の雨を拭いながら、中にいる豊美に声をかけた。
「しんどかったやろ。なにもかも一人やから」
多武峰から義母の使いでやってきた豊美が房子と良一を塩で浄めながら言った。
祭壇や花輪はとり払われ、白布をかけた焼香台と生花を飾った小机が用意されていた。
小机の位牌の横に骨壷を置いた。
「ほな、預かってきたもん渡します」
豊美は現金の入った封筒を畳の上に置いた。
「必ず早い内に返しますと、お母さんに言うて下さい」
「おかみさんは、返してもらわんでもええ言うたはった。房子さんもろといてええのんちがう。そのかわりいうたらなんやけど、あれを、うちが持って帰るんやから」
豊美は横目で位牌と骨壷を見た。
「これで、完全に林の家とは縁が切れました」
房子がそう言うと、
「ほんまにそやろか?」
と、豊美は良一の方を見た。
「うちの命かけても、あの子は、あの人にさわらさへん」
房子は豊美の顔を真直ぐに見て言った。

To be continued