昭和40年会同期会参加者
国際商科大学(現東京国際大学)が設立されたのは昭和40年(1965年)だった。
第1期生として入学したのは198名。
その後、他大学への変更や途中退学をした人も出た。
進級が厳しく、留年をせざるを得なかった人もいた。
第1期生として卒業したのは約半数の115名であった。
本当に少ない卒業生であった。
第1期生の同期会は、卒業期ではなく入学期として名称は「昭和40年会」としている。
途中で退学した人も留年した人も含まれている。
だから対象者は198名である。
しかし、その中で逝去者は分っている人でも10名となった。
住所不明の人もずいぶん増えた。
約100名の住所判明者に同期会の開催案内をしたところ、欠席の連絡は42名であった。
コメントのあった人も、遠方のために欠席した人も、体調が悪くて出席できない人も思いは同じである。
当日会場となった「北の家族・新橋日比谷口店」に集まったのは、14名であった。
それぞれの近況報告や学園生活の思い出話などに花が咲き盛り上がって旧交を温めた。
年齢も60歳を超えたメンバーである為にこれから毎年開催することを決めた。
(11月21日記 池内和彦)
国際商科大学(現東京国際大学)が設立されたのは昭和40年(1965年)だった。
第1期生として入学したのは198名。
その後、他大学への変更や途中退学をした人も出た。
進級が厳しく、留年をせざるを得なかった人もいた。
第1期生として卒業したのは約半数の115名であった。
本当に少ない卒業生であった。
第1期生の同期会は、卒業期ではなく入学期として名称は「昭和40年会」としている。
途中で退学した人も留年した人も含まれている。
だから対象者は198名である。
しかし、その中で逝去者は分っている人でも10名となった。
住所不明の人もずいぶん増えた。
約100名の住所判明者に同期会の開催案内をしたところ、欠席の連絡は42名であった。
コメントのあった人も、遠方のために欠席した人も、体調が悪くて出席できない人も思いは同じである。
当日会場となった「北の家族・新橋日比谷口店」に集まったのは、14名であった。
それぞれの近況報告や学園生活の思い出話などに花が咲き盛り上がって旧交を温めた。
年齢も60歳を超えたメンバーである為にこれから毎年開催することを決めた。
(11月21日記 池内和彦)