高道元三朗八段範士の葬儀
躰道の創始者である祝嶺正献最高師範から平成12年に初めて躰道8段位範士の称号を受けた6名のうちの一人である高道元三朗氏が病気療養中のところ逝去し葬儀が盛大に執り行われた。
左官業一筋に仕事を貫いてきた。
その傍ら藤丸英雄師範と中野道場で出会い躰道を修行してきた。
葬儀には躰道関係者も沢山参列していた。
沖縄、広島、富山、青森など遠方から来た人もいた。
生花は全体の3分の2が躰道関係者からのものであった。
藤丸英雄師範は「高道君も左官業だけなら、左官の元さんであったろうが、躰道をやっていたお陰で多くの人たちが最期の別れに集まってくれた」と語っていた。
棺には躰道着と帯が乗せられていた。
躰道の演武の写真が2枚展示してあったが、祝嶺正献最高師範から頂いた「八段位」と「範士称号階位」の賞状は飾られていなかった。
多くの躰道関係者が参列した中で、初めての八段位の昇段は大きな意味があるもの。残念で惜しいことをした。
高道氏は職人気質の持ち主で、頑固一徹なところも持ち合わせていた。多くの人と意見で食い違っていたことこともあった。
躰道において実技の好きな人であった。
足柄山での研修会のときに、高道氏は「実技が一番必要である」と述べたのに対して小林次夫師範は「理念が必要である」と喧々諤々となった時に、祝嶺正献最高師範は「躰道は理念と実技の両方を実践していくことを目標としている」と諭していたことを思い出した。
高道元三朗氏のご冥福を祈ります。
(12月26日記)
躰道の創始者である祝嶺正献最高師範から平成12年に初めて躰道8段位範士の称号を受けた6名のうちの一人である高道元三朗氏が病気療養中のところ逝去し葬儀が盛大に執り行われた。
左官業一筋に仕事を貫いてきた。
その傍ら藤丸英雄師範と中野道場で出会い躰道を修行してきた。
葬儀には躰道関係者も沢山参列していた。
沖縄、広島、富山、青森など遠方から来た人もいた。
生花は全体の3分の2が躰道関係者からのものであった。
藤丸英雄師範は「高道君も左官業だけなら、左官の元さんであったろうが、躰道をやっていたお陰で多くの人たちが最期の別れに集まってくれた」と語っていた。
棺には躰道着と帯が乗せられていた。
躰道の演武の写真が2枚展示してあったが、祝嶺正献最高師範から頂いた「八段位」と「範士称号階位」の賞状は飾られていなかった。
多くの躰道関係者が参列した中で、初めての八段位の昇段は大きな意味があるもの。残念で惜しいことをした。
高道氏は職人気質の持ち主で、頑固一徹なところも持ち合わせていた。多くの人と意見で食い違っていたことこともあった。
躰道において実技の好きな人であった。
足柄山での研修会のときに、高道氏は「実技が一番必要である」と述べたのに対して小林次夫師範は「理念が必要である」と喧々諤々となった時に、祝嶺正献最高師範は「躰道は理念と実技の両方を実践していくことを目標としている」と諭していたことを思い出した。
高道元三朗氏のご冥福を祈ります。
(12月26日記)