昨夜は一番先にレモングラスとレモンピールの入浴剤を入れてお風呂に浸かった。夫は連続でリビングでの就寝を引き受けてくれた。かたじけない。赤いドリンクヨーグルトで夜の薬を飲み、吐き気止めオイルでマッサージを済ませ、ノロノロベッドに入る。
今朝はいつもの時間に目覚ましが鳴り、土曜使用のスマホアラームを消して寝たら、二度寝をしてしまい、朝ドラ復習編が終わっていた。嗚呼。その後は、気持ち悪くてウトウト。なかなか起き上がれない。
ノロノロ起きてリビングに行ったら2人は朝食が終わっていた。胃は重いけれど、食欲がない。お腹に入れられたのは佐藤錦2粒とゴールデンキウイ、りんごを1かけ。青いアロエヨーグルトで薬を飲みこんだ。水分が摂れなかった。
今朝からは、ミヤBM錠とタケプロンに、朝食後吐き気止めカイトリルと毎食後疲労止めのエルカルチン2錠が追加。今日、明日はイメンド80㎎とデカドロン0.5㎎を4錠で2㎎(昨日までの半分量)だ。デカドロンはとても小さいので落としそう。全部で10錠。
息子は珍しく土曜日の午前中在宅なので、部屋の片づけをするように夫に言われていた。
明日のランチ会に着ていくスーツのズボンのウエストがきついようで、夫がリフォームに持って行ったら午後には仕上がるとのこと。素晴らしい。息子は午後から出かけるというので今日の帰りにピックアップしてくれば間に合うわけだ。
ここでソファと一体化してしまうと一日寝たきりなのが自明の理なので、思い切って、食器棚の断捨離を。夫も手伝ってくれるようなので一気に。今は息子が同居中だし、予備も含めて食器やお皿類を4組残しているが、夫と2人になったら2枚に減らすつもりだ。今日は5枚以上のセットものや殆ど使っていない茶器等を全て処分。結婚祝で頂いたウエッジウッドのティーカップやデミタス、引き出物等も処分。思えば30年モノだ。これだけ処分してもなかなかスッキリしないけれど、ごみ袋2つ分出せた。それにしても使った記憶がないものが沢山あって苦笑する。
気持ち悪くて頭がぼーっとしているので、トレーナーのMさんにLINE報告のビフォー・アフターの写真が順序立てて上手く送れなくい。間違って送って削除したり、と申し訳なかった。
ソファでウトウトしていると、お手洗いに起きるのもついつい我慢してしまう。頑張って立ち上がったついでに、グラス類の棚の中も処分。気分が悪いとじっくり吟味出来ないので、直感で処分出来るようです、と報告したら、「直感は過たない」というとのコメントがあった。なるほど、間違っていないのだと納得する。
2人はお蕎麦やカップ麺でランチを摂っていたが、私は一人でソファと一体化。午後、息子は明日のお使い物の買い出しに都心まで、夫はクリーニング屋さんに出かけた。さすがに朝食が果物をちょっぴりだけだったので、胃が痛くなり、ワンパターンの冷凍担々麺をお腹に入れて、羅漢果茶少々でミヤBM錠とエルカルチンを飲んだ。食後は抹茶のアイスクリーム。
夫にジムはどうするのと訊くと、今日はプールで泳いでこようかなとのことだったが、ゴーグルと帽子がないので、ダメだったらしく、いつも通りにしたようだった。
2人が不在の間、録画した邦画をウトウト見ながら途中がどーんと飛んでいた。ついつい我慢してしまうお手洗いに立ち上がったたついでにお箸やフォーク、スプーン等も大分減らした。ごみ袋が開いているとポンポン入れられるようだ。
夕食の支度は夫に任せて何もせず、一人でソファでゴロゴロ。息子は、帰路リフォーム屋さんに立ち寄ったらすでにクローズしていて受け取れなかったそうな。明日開店と同時に受け取って出かけるという。お疲れ様なことである。
昨日はうさぎさん便に加えて普通便が排出出来たので優秀だったが、今日はお通じの気配なく便秘。水分不足だから当然だ。その割にお手洗いの回数はそれほど減っていないが、尿の色は昨日より大分濃い。
母にMeet通話。今日もマッサージに行ってきたそうだ。気持ち良かったけれど、ちょっと疲れたそうな。代謝が良くなるからだろう。洗濯も2回したという。
挟んだ指の青痣は大分目立たなくなり腫れも退いているように見えたが、まだ指輪は外せないらしい。それにしても骨どころか指切断なんて悪夢にならないで本当に良かったね、と息子。実に。
2人の夕食が済んだところで、ご飯を一口フリカケをかけて流し込んだ。金目鯛のお刺身を2切れと黒豆を1粒、イブリガッコを1切れ。水分はなし。夕食後の薬は果たして何で飲み下したのだったか。
籠城蟄居の土曜日だったけれど、断捨離が少し出来たので可としよう。家でゴロゴロしただけだったので涼しく感じたけれど、最高気温は30度近くあったようだ。洗濯もせず、炊事もしなかった。昨日一昨日は夕食を作ったのに、今日は夫に甘えてしまった。
顔が浮腫んで、頭はぼーっとしている。お腹はグルングルン、口の中も苦くて気持ち悪い。明日は洗濯くらいはしたいけれど・・・。
さて、体調悪い、の話ばかりなので、少し別の話題を。
いつも拝読している読売新聞連載、高野先生の最新号になるほど、と思ったので、下記転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
Dr.高野の「腫瘍内科医になんでも聞いてみよう」(2023年6月22日)
がん患者にとっての「幸せ」ってなんですか?
「医療は人間の幸せのためにある」
これは、医師を志したときからの私の信念です。
「幸せ」について、コラムで書いたり、講演で話したりすると、「『幸せ』ってなんですか?」という質問をいただくことがあります。
でも、これがあなたの目指すべき「幸せ」ですよ、と答えられるようなものではありません。「幸せ」は、自然に感じるものであって、その形、内容、感じ方は、千差万別です。一人ひとりに、その人なりの「幸せ」がある、というのが回答になるでしょうか。
「生存期間」「QOL」で決まるのが標準治療
「幸せ」は、医療が目指す究極の目標ですが、実際に目指すゴールは、患者さんごとに様々で、そこに至る道のりも、一人ひとりで全く違います。標準治療を一律に当てはめればたどりつくという目標ではありません。
標準治療は、最善の結果が得られる可能性が高い治療として確立していますが、「最善の結果」を客観的に評価するためには、「評価項目」を設定する必要があります。がんの臨床試験でよく用いられる「評価項目」は、「 奏効そうこう 率(がんが縮小する確率)」「生存期間」「生活の質(QOL)」などです。
このうち、「生存期間」や「QOL」は、その改善自体が患者さんの利益と言えるので、「真の評価項目」と呼ばれます。
真の評価項目である「生存期間」や「QOL」が最もよくなる治療が、標準治療となります。標準治療によって得られるのは、「最大多数の最大幸福」です。できるだけ多くの患者さんに、できるだけよい結果をもたらすということですが、このフレーズに出てくる「幸福」は、数値で評価できる「よい結果」を意味しています。
本当の「幸せ」は一人ひとり違う
本当の「幸せ」は数値で表すのは困難ですし、もし「幸せ」を測るモノサシがあったとしても、そのモノサシ自体が一人ひとりで異なりますので、一律の評価はできません。私は、この「幸せ」こそが「真の評価項目」よりも重要な「究極の評価項目」だと思っています。ただ、「究極の評価項目」は客観的には測れないものですので、臨床試験では使えません。
「最大多数の最大幸福」を目指す考え方は、「エビデンス・ベースド・メディシン(EBM)」として医療現場に浸透しています。私は、EBMを実践しつつ、さらに「一人ひとりの、その人なりの幸せ」を目指す、「ヒューマン・ベースド・メディシン(HBM)」が重要だと考えています。
抗がん剤治療を行うときも、痛み止めを処方するときも、採血検査を行うときも、それが目の前の患者さんの幸せにつながるのかどうかを第一に考えます。標準治療だから、教科書に書いてあるから、みんなやっているから、といった理由で、それをやるのが当然とは決めつけず、すべての医療行為について「目の前の患者さんの幸せ」を軸に判断するようにしています。
治療方針に迷ったときには、患者さんと話し合いながら、患者さんの幸せにつながるのはどの選択肢なのかを考えます。
「あなたが大切にしているものは?」
医療者が勝手に「患者さんの幸せ」を想像して治療方針を決めることはできませんので、「幸せ」を軸に判断するためには患者さんとの語り合いが欠かせません。
ただ、患者さんに「あなたにとっての『幸せ』は何ですか?」と尋ねたりはしません。実のところ、診察室で「幸せ」という言葉を私の方から使うことはあまりありません。
自分にとっての「幸せ」が何かなんて、ふだんあまり考えていないという方が多いでしょうし、それでもよいのだと思っています。あまり意識することなく、自然に感じているのが「幸せ」というもので、あえて言葉にしなくても、そのままの幸せを感じながら過ごしてほしいというのが、私の願いです。
その代わり、患者さんが大切にしているものは、できるだけお聞きするようにしています。家族だったり、趣味だったり、仕事だったり、そのような会話から、「幸せ」の一端を知ることができます。
患者さんには診察室で、自分が大切にしているものや考え方、価値観を、ぜひ語っていただきたいと思います。あわせて、日常生活で起きたちょっとした出来事、道ばたで見つけた季節の変化など、最近うれしく思ったことも語ってみてください。
「がんだったのはラッキーでした」
私が医療監修を務めた、NHKドラマ「幸運なひと」が、2023年4月に放送されましたが、このタイトルについても、いろいろな意見がありました。
このドラマは、脚本家の吉澤智子さんが、肺がんで夫を亡くした実体験をもとに書いたものです。「幸運なひと」というタイトルをつけた理由について吉澤さんが語ったインタビュー記事が、 NHKのサイト に掲載されています。
がんになった途端、「がんの人」と言われるようになり、「かわいそうな人」「不運な人」「不幸な人」とくくられがちですが、がんになった人の人生は決して不幸ではないし、不運でもないと吉澤さんは述べています。「幸運な普通の人」の話として、脚本を書いたということです。
がんのドラマなのに「幸運なひと」というタイトル。ここに違和感があるという方もおられるかもしれませんが、その違和感を生んでいるイメージを壊したいというのが、制作者側の思いでした。「がんになっても、普通に、自分らしく、幸せを感じることができるし、それを目指すために医療がある」という私の思いもそこに重なりました。
一方で、「幸運」や「幸せ」を押しつけられているように感じるという声もありました。やはり、「幸せ」は、自然に感じるものであって、他人から決めつけられるものではない、ということは忘れずにいたいと思います。
このドラマの「患者の会」の場面には、実際の患者さんやご家族が出演し、ご自身のリアルな思いを語っています。ここだけ、ドラマではなくドキュメンタリーだったわけですが、ドラマの中でも重要な場面となりました。進行乳がんを患っている私の患者さんは、このシーンに出演して、「何か病気になるとして、それががんだったのはラッキーでした」と語っています。これが脚本に書かれていたセリフだったら、どうかと思うところですが、彼女が本当に思っていることを、自分の言葉で語っているので違和感はありませんでした。彼女は、私の診察室でも、「がんになったあとの方が幸せ」だとおっしゃっていて、いつも欠かさず、日常の新たな出来事を楽しく報告してくれます。
「健康とは、幸せかどうかで決まる」
1998年の映画「パッチ・アダムス」で描かれた、米国の実在の医師パッチ・アダムスは、「健康」について、このように語っています。
「健康とは、『病気がないこと』ではありません。
健康とは、幸せかどうかで決まるものです。
病気があっても、その人が幸せであれば、健康だと言えます。
病気があってもなくても、誰もが幸せになれるし、健康になれるのです。」
私は、2000年にパッチと出会い、直接この言葉を聞きました。がんがあっても、たとえそれを治せなくても、人は幸せになることができるし、人の幸せを支えることこそが、医療の本質だと理解しました。
「がん患者にとっての『幸せ』とは何か?」の答えは、がん患者さん一人ひとりで違いますので、明確に答えられるものではありませんが、「幸せ」というのは、がんがあるかどうかとは関係なく、身近に、普通にあるものなのだと思います。そもそも、「がん患者にとっての」と考える必要はありません。「幸せ」が、がん患者となった途端に消えてしまうわけではありません。がんにまつわるイメージのために、「幸せ」が見えなくなってしまうことはあるかもしれませんが、がんのイメージから解放されれば、もともとある「幸せ」を再発見できるはずです。
「幸せ」という言葉だと考えにくいという方は、「自分にとって大切なもの」を考えてみるとよいでしょう。
ドラマ「幸運なひと」で、腫瘍内科医の中村医師は、肺がんを患う中学校教師の主人公に対して問いかけます。
「松本さんにとって、今一番大切なものは何ですか?」
それに対する回答はこうでした。
「普通に、がんだけど、朝起きて、学校行って、部活やって、時々、ギョーザ作って、飲んで、普通に暮らしたい」
がんがあってもなくても、誰もが、普通に、幸せを感じながら過ごせるようになることを願っています。(高野利実 がん研有明病院院長補佐)
(転載終了)※ ※ ※
以前も書いた記憶があるが、私は人間が出来ていないのか、がん患者を20年近くやっていてもなお、がんになって幸せだったとまでは思えない。キャンサーギフトという言葉も如何にもどうかなと思うし、どうせ死ぬならがんがいい、ともあまり思わない。
健康で無病息災ならそれが一番良いだろう。老衰で穏やかに蝋燭の火が消えるように安らかに静かに枯れるがごとく逝けたら良いのかもしれない。とはいえ、歳を重ねて色々な不具合を持ちながら長生きするのもそれはそれで辛そうだ。亡くなった父や間もなく90歳になろうかという母を見ていても強く思うようになった。
もちろん不慮の事故死、震災死等突然の過酷な死は沢山あるだろう。けれど、自分で死に方は選べない。それほど能天気でもないし、そんなに甘いものでもないと思っている。
けれど、がんとともに普通の生活をキープしながら、日々の幸せを感じることは出来る。それは間違いない。18年半の患者生活で実感出来る。
再発するまでの3年間は、治ると信じて疑わず手術、放射線治療、ホルモン治療を行った。復職してからは日々の生活が酷く脅かされるほどQOLが落ちることはなかった。ごく普通に仕事をして早く元通りの生活に戻ろうと思っていた。
ところが、いざ、本格的な再発治療である化学療法が始まると、それはエンドレスできついものになった。副作用でダウンし、何度となく緊急入院した。脱毛も4回。
けれど2012年の秋を最後に入院していないのは、普通の生活をキープ出来ている何よりの証拠であると思っている。通院治療後、次の治療日までに何とか体調を戻して、フルタイムで働きながら定年まで勤めあげることが出来た。
その間、もちろん辛いことも沢山あったけれど、体調が良い時は、普通に元気に旅行に行って、ヨガの講師資格も頂き、今では患者会でその成果をお伝えする機会にも恵まれている。
もっと出世したかったとか、世界一周旅行に行きたかったとか、そんなことを妄想し始めたらきりがないけれど、ごく普通に私らしくいい人生を“幸せに”送れているのだと思う。
高野先生に言わせれば、私はステージⅣのがんを抱えながらも健康で幸せな日々が送れているのだ、と言えるのだろう。