ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2023.6.27 エンハーツ42クール目 さらに減量38回目投与後6日目のこと 本日もソファと一体化、失礼な「で」の対抗策

2023-06-27 22:09:00 | 日記
 昨夜は息子に一番湯を譲ってからの入浴。相変わらず夫は仕舞い湯を引き受け、リビングで就寝。申し訳ない治療後数日間である。

 寝室のCDプレイヤーが壊れてしまったので、マントラCDをBGMにも出来ず、悶々としながら眠る。右や左に寝返りを打っているうちに何となくウトウト。

 今朝もスマホアラーム、目覚ましと鳴ってからノロノロとリビングに行き、顔を洗ったらそのままソファと一体化。朝食中の2人を見ながら少しだけ会話に参加する。
 2人が出かけたところで朝ドラを視ながら朝食を摂る。今日もマグカップにグリーンケールココア。レーズンロールを1つ温めた。青汁とバナナスムージーは飲めない。食後の果物は佐藤錦2粒、ピンクグレープフルーツ2房、シナノゴールド、バナナをひとかけずつ。
 青いヨーグルトを食べココアで5錠飲み切る。大分食べられた。新聞をゆっくり読むが、シャンと背筋を正して座っていられない。

 まだ元気があるうちに夕食の支度にとりかかろうと思ったけれど、ダイニングに座ったまま手元にあったクリアファイルの断捨離をしたら、下を向いて作業したのが良くなかったのか貧血でクラクラ。またソファと一体化。ずっと不調のまま動けなくなった。
 横になりウトウトしながらドラマの録画を視る。意を決してお米を研ぎ、遅ればせで洗濯機を廻す。
 夕食用のサラダを作り、野菜を切る。ここまでで一仕事。

 便秘が解消して、朝1回、朝食後1回の普通便があった。今回も薬に頼らずに済んだ。
 なんだか空腹で、肉か蛋白質を摂らなければという気分になるが、何か作る元気はないので、冷凍庫を捜索しておかずセットをチンしてお腹に入れる。主食がないことに気づいて続いてパスタをチンして食べたら、ちょっとほっとした。
 お腹が満ちたら、また眠くなる。邦画の録画を観ながらウトウトウトウト。岩盤浴に行くどころか、またしても籠城蟄居のまま一歩も出ないで夕方になってしまった。
 さらに3回目の排便があって、かなりお腹がスッキリした。食べられるようになればまた復調が進むだろう。

 階下に降りて、新聞受けから郵便物等の回収をして、洗濯物を取り入れて畳む。一つ動くとまたしてもがっくり。鏡に映った自分の姿は、猫背で顔色が悪く、まさにしょぼくれた老婆そのもの。本当に凹む。

 断捨離トレーナーのMさんに、今日はクリアファイルの処分だけでした、と連絡すると、がんばっている○○さんへ、と青空の高野山の写真が送られてきた。伽藍の赤が青い空、白い雲に映えて美しい。木々の緑も豊かで3年前に訪れた時の静謐な感じを思い出した。明後日午前中はZoomミーティングで断捨離予定だが、復調していると良いのだけれど・・・。

 出張直帰の夫がいつもより少し遅めに帰宅したので、食事の支度。定時には帰れなそうな息子の帰りを待つのは止めて、早めに食事を摂った。2回の支度をすることになるが、あまり遅い夕食はどうしても胃の負担になる。

 母にMeet通話をするも、相変わらずなかなか出ない。ちょうどお手洗いに行っていたとか手を洗っていて指が濡れていたから取れなかったとか、毎回毎回色々な言い訳がつく。
 明日はデイサービスのお愉しみステーキランチ会に呼んで頂けたそうで、今週は3回通うのだという。今日もおかずの宅配が届いて残さずしっかり食べられたとのこと。何よりである。

 明日こそ、1週間ぶりに岩盤浴には行きたいし、外の空気も吸いたい。何より靴を履いて自分の足で歩きたい。

 さて、閑話休題。
 昨日、ソファでへばっていたら、大学合唱団の先輩から面白いラインが届いて和んだ。
 「ネットで見つけた、ある夫婦の昼ごはんについて。
 夫「簡単でいいよ。冷やし中華でいい」
 妻「怒(の顔マーク)」 
 ・・・そして妻が作った冷やし中華、私もまねしてつくってみました。」

 先輩が作った冷やし中華の写真が貼ってあって、茹でた麺の上に、瑞々しいキュウリ1本、トマト1個、卵1個、厚切りのハムがどーんと載っていた。
 そう、私も冷やし中華は大好きだが、複数の具材を千切りにして、錦糸卵を作って・・・という下準備が大変だ。それさえ出来ればほぼ完成といえる。

 食べるだけの人には「冷やし中華でいい」なのかもしれないが、とんでもない。
 先輩には「わかってないですよね。でも(先輩が出された写真のものは)そのまま食べられるのですから、素晴らしいですね」とお返しした。
 暫くして「娘が、ハムが切ってあるだけエライ!と言ったので、次回は豚を一頭載せます」と戻ってきた。

 ここで、失礼な「で」という助詞の使い方を思い出した。
 母も義母もレストランで「何にする?」と訊くとよく「○○でいい」と言った。○○「で」いい、ということは、他に食べたいものがあるにもかかわらず、ろくなものがないからひとまずそれで妥協するのか、ご馳走してもらうから遠慮するのか、いずれにせよ積極的に選択した感じを得られない。消去法だろうか。

 せっかくなら「○○がいい」「○○が食べたい」と言ってほしい。
 母にはその言葉を言う度に「失礼だ」と言い続けていたら、漸く治って言い直すようになった。が、さすがに義母には言えず、矯正出来なかった。

 何か人に(たとえ妻でも夫でも)やって頂く時に、「○○でいい」なんていうくらいなら、自分が好きなように自分でやればよいのである。昼食が出てくるのは当然で、しかも自分は簡単なものでいいよと気を遣っているつもりの、ああ、勘違いをしていらっしゃるご主人様たち、要注意である。

 私がこの話をしたら、夫から面白い話を聞いた。かつて職場で一緒だった女性のお弁当を、ご主人が毎日作っていたそうだ。(信じられない!私は夫からお弁当を作ってもらったことは1度たりともない。)それに対して、奥様は「毎日冷凍食品ばかりね。」と言ったそうな。
 翌日、お弁当を開いたら、冷凍食品がそのまま入っていたという。さもありなんである。
 男性女性など関係ない。人が好意でやってくれることに文句をつけるなら、自分でやるべきである。子どもではないのだから。
コメント
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