一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

441  聖堂の論語素読や風花す   悟朗

2011年12月08日 | 

 (せいどうの/ろんごそどくや/かざはなす)

 

 江戸時代の寺子屋は、日本全国に1万数千あったとされ、日本人の識字率は80%ほどあり、世界一だったようである。ヨーロッパでもイギリスで25%、フランスでわずか1.4%だから、日本がいかに高かったか分かる。

 

寺子屋では、読み書き算盤の他、「商売往来」などの往来物、文字を学ぶ「千字文」、地理の「国尽」「町村尽」、儒学書の「四書五経」、歴史の「国史略」、「百人一首」「徒然草」などの古典も講じられた。 

 

明治開化の折り、日本が中国のように植民地化されなかったのは、寺子屋の教育によるところが大きい、という。それは、特に論語などの、人のあるべき姿を素読によって叩きこまれ、清廉潔白で実に有能な人物になっていったからである。幼少期の素読は、九九算などでも分かるように、死ぬまで忘れることがない。 

 

幼・小・中学校教育に、「四書五経」の素読を取り入れたら、日本と日本人は劇的に変わる、と私は思う。この句の聖堂は、東京お茶ノ水の湯島聖堂だそうである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする