一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

451  とどのつまり鮟鱇鍋となりにけり   直治

2011年12月20日 | 

(とどのつまり/ あんこうなべと/  なりにけり)

 

鮟鱇は、海鼠(なまこ)と同じで、風体を見たら誰も喰う気はしないだろう。図体がでかくて、グロテスク、ぐにゃぐにゃ、肌はつるつるしているから、鉄の大きな鉤(かぎ)に吊るして捌かねばならない。

 

しかし、最近話題になっている、健康に良いとされる青魚などに含まれている不飽和脂肪酸の含有量は、なんと鮟鱇の肝が断然多いそうである。こういう鮟鱇の知ったかぶりの講釈は事欠かないが、鍋にして喰った、という訳だ。

 

この句で面白いのは「とどのつまり」である。これによって、鮟鱇の生態や風体、人間による評価など様々なことを、「うるさい黙れ」と言っていることになる。

 

余談だが、ボラ(鯔、鰡)は、ブリ(鰤)などと同じ出世魚で、成長につれて名前が変わる。関東では、以下のように呼び名が変わるそうである。

オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド

最後が「トド」で、これが語源で「とどのつまり」と使われるようになったそうである。だから、鮟鱇を大法螺(=大鰡)に変えても面白そうなのだ。

 

スイセン(水仙)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする