一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

442  在るがまま瘤かかえおり冬の幹   正太

2011年12月09日 | 

(あるがまま/こぶかかえおり/ふゆのみき)

  

瘤と言えば「こぶとりじいさん」という昔話がある。木の瘤なら問題はないが、人間の瘤となると、大問題である。

 

こぶとりじいさんの良性の粉瘤腫は良いとして、脳動脈瘤は(この場合は「りゅう」と読む)、脳動脈の壁にできた瘤で、ほとんどがクモ膜下腔にできるので、クモ膜下出血というこわーい病気になる。実は、私の母はこの病気で死んでしまった。

 

さて、何故ここで「在るがまま」という言葉をもってきたのだろうか。こんな言葉は、俳句には本来必要ないのである。何故なら、この世に存在する全ては、神の御心により「あるがまま」に存在しているのだから。

 

「在るがまま」をあえて言わねばならなかった、作者のこころは何か、が問題なのである。明確ではないが、作者は心か体に何らかの瘤を持っているのではないか、と想像してしまうのだ。そして、それをあるがままに、ゆるやかに受容しているのではないのか。

 

旬菜料理・壷中庵

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