社会を見て、聞いて、感じる。

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6月9日(水) 自宅中華。

2021年06月11日 08時26分15秒 | 2021年

 6時45分起床。

 妻と娘を見送ってから、ウォーキングがてら朝食をとりに出掛ける。たまにはちょっぴりお洒落なモーニングを食べたいという気分なので、岸根公園の「メレンゲ」へ。

 パンケーキやスクランブルエッグ、ソーセージ、ベーコン、サラダなどのプレートを注文する。

 飲み物はアイスカフェオレ。

 思った以上に豪華なプレートだった。ソーセージが太くて大きい。このお店の名物であるパンケーキは分厚いものなのだが、モーニングで出てくるのは全く別酒類の薄めのもの。私はこちらのほうが好きかもしれない。

 腹ごなしにお散歩。昨日のリベンジということで、謎の鳥居から続く道を再び歩いてみる。

 通常、鳥居から本殿までは真っすぐつながっているはずだ。なので、この道を直進してみる。

 やはり正解だった。突き当りに神社が見えてきた。昨日、「あそこの神社に続いているんじゃないかな」と予想していた神社である。以前来た時は反対側の道(新横浜駅方面)から歩いて来たから、こういうふうにつながっているとはわからなかった。

 杉山神社という神社である。境内の雰囲気も良い、立派な神社だ。財布から10円を取り出して、お参りをする。

 杉山神社には宮司さんが常駐しているわけではなく、篠原神社が管理をしているらしい。

 ひとつの疑問が解け、すっきりした気持ちで家へ帰る。

 在宅勤務を開始する。オフィスのパソコンか手元のリモートパソコンどちらかのご機嫌が悪く、接続が不安定で作業スピードが停滞しがち。

 昼食は、昨日のリベンジで「上重朋文の店」へ。今日は開いていた。

 勇気を出して入ると、玄関でマスターが出迎えてくださった。その柔和な笑顔を見てほっとする。

 店内は、まさに普通のお宅で、今が客席になっている。入る時は緊張したが、いざ入ってみるとすこぶる居心地が良い。仲の良い友達の家に遊びに来た時のような感覚である。

 注文は炒飯。中華料理屋さんの良し悪しを測るには炒飯を食べてみるのが一番いいと誰かが言っていた。まあ、私の場合は単純に炒飯が好きなだけなのだが。

 結論から言うと、とても美味しい炒飯だった。何か特別なものが入っているわけではないし、強火で中華鍋をふるって作ったようなパラパラ感があるわけでもないのだが、味付けが絶妙だし、何のことはない具材たちの力が存分に発揮されている。一見すると家庭的な炒飯だが、一口食べると明らかにプロの仕事だということがわかる。

 ダイニングでは、調理を終えたマスターと奥様が団欒しながらテレビを観ている。先ほどは友達の家といったが、親戚の家に遊びに来た感覚にもなってきた。この居心地の良さは、マスターと奥様のお人柄によるところが大きいだろう。普通の人がこの形態でお店をやっても、こんな居心地の良さは出せまい。

 食べている途中で職場から電話が入り、急ぎの作業をお願いされる。実はまだお昼休み前(ピンチ!)なので、無理を言って残りの炒飯を持ち帰りにさせて頂く。おそらく普段は持ち帰りはやっていないのだろうが、笑顔で対応してくださった。ありがとうございます。次は最後までゆっくり出来る時に来ます。次はラーメンかな。

 炒飯を持って急いで帰宅し、作業を進める。その後のやりとりなども含め、1時間ほどで一段落。

 さっそく、持って帰ってきた炒飯を食べる。やはり、美味しい。これは、他のメニューにも期待してしまう。

 勤務終了後、保育園へ娘をお迎えに行く。

 娘と一緒に入浴。当初はシャワーだけがいいと言っていたのだが、いざ出るタイミングになってやっぱりお湯に浸かりたいと言い出し、そのまま2人洗い場でお湯が溜まるのを待つ。その間、娘は保育園で流行っている踊り(プリキュアのポーズ)を見せてくれていた。

 夕食は豚の生姜焼き。

 洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。私は洗濯物を干すために途中で寝室から離脱し、そのまま2階の和室の窓を開けて夜風に当たりながらスマホを眺めていた。

 娘が寝静まったのを確認してから1階へ下り、明日の保育園の準備や食事の後片付けなどをする。

 日付が変わる頃に就寝。娘は洋服をめくりあげてお腹を出し、畳の上で寝ている。そんなに暑いのか。私はまだ冬用の布団で眠っているのだが。