はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
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山あり谷ありの国際結婚ブログです。

父の命日

2009-02-05 | 日本の家族
”公園に梅咲いた。赤、白、まぜて 梅咲いた。”

祖母はこの唄をよく口すさんでは 父の 自慢話 をした。

”アンタのお父さんは この詩を7歳の時につくった、

勉強も出来、走ったら早いし、絵を書かせたらうまいし、、何でも出来る子やった。”


父は 祖父母の 自慢の種 だったようだ。

でも、その後の彼の自慢話を 祖母から聞いたことはなかった。

叔母の話によると 小さな漁村に住んでいた 青年期の彼は  

かなりの 変わり者 だったらしい。

祖父が亡くなって、高知市に移った私たちは 曾祖母の離れを借りて暮らしていた。

4畳半の一階の部屋には 片隅に小さなガスレンジがあり 

そこで料理ををして 食事をしたり、テレビを見たり、

お客さんが来れば その部屋でお茶を飲んだり、

夜になると 私と祖母で 布団を敷いて寝ていた、

台所兼 居間兼、ダイニングルーム兼、寝室だった。

2階は父の寝室になっていた。

            
From Drop Box

私が6歳の時に父は 山と海に囲まれた 精神病院 に入院した。

時々外泊をもらって 帰ってきていた父は、

祖母に 暴力をふるう 事がしばしばあった。

一度 ご飯を入れる木のおひつの蓋で 

祖母の頭を おもいっきり 叩いたことがあり、

子供の私にも ショッキング だったのだろう、

その光景は 今でもはっきりと思い出せる。

こうした父からの暴力があると 私と 祖母は 近くの公園に 逃げた

公園への道、夜空に浮かぶ 月や星が 一緒に歩いてくるのを 不思議に思いながら、

まるで 遊びにでも来たかのような思いで

 私は一人でブランコに乗り、ついてきた月や星を見上げていた。

悲しみも 恐れも そんな心はなく どこか 冷めていた

街灯の光のあたらない 真っ暗な闇 の中にあったベンチに

 頭を垂れて座っていた 祖母が とても弱弱しく見えた。


父の命日になると 子供の頃を思い出す。    

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