はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

クロアチアから来た子

2011-06-25 | 友人たち
私が働くベーカリーで 夜中 ドーナツを揚げたり

昼間 ラッピングをする仕事をしている ニッキーさんは

6歳の時に お父さんの 仕事の都合で 

東ヨーロッパである クロアチア国 という

   イタリアの近くの小さな国に移り


そこで 小 中学校を終え 16歳の時に

  事情があって アメリカに戻って来て 


        この町の高校を終えた。



英語で クロアチア国のことを 無理やり カタカナにすると

  クロエイシアー と発音するので

以前 ここで 読んだ記事と ニッキーさんが住んでいた国とが

同じ事に 気付かなかった私は


”あなたが住んでいた国の近くに とっても素晴らしい景色の国があるのよね

確か ユーゴスラビアから独立した国のようだけど、、、”


と 聞いた事で 

この二つの国が 同じ国 である事を知った。


もともと 東ヨーロッパの知識に乏しく

地理的にも イタリアあたりから ぼんやりし 

突然 ギリシャに飛んでしまう私だ。






クロアチア国には 世界遺産に登録 されている美しい町もあり

1991年という さほど昔でない年

ユーゴスラビアから独立する為に

   クロアチア独立戦争 というのも起こっている。

私のアメリカ生活10年目の頃だが

世界ニュース に耳を傾けていなかった自分を

   つくづく感じる事だった。

91年というと 新しく勤め始めた旅行会社が 倒産し

失業保険 を貰いながら 

家で 小さな子供たちの ベビーシッター をして暮らしていたんだ。

バタバタして 世界ニュース どころでなかったかも、、、  

    という事にしておこう。




自分の知らない外国に住んでいた彼女に

興味を持つ私は

 彼女と同じ時間帯に働く日に

何かと質問をしては その国での 生活話し を聞く事だ。




彼女はクロアチアで カイロプラクター をしていたお父さんと

3歳年下の妹さんをおいて

お母さんと 二人で アメリカに戻って来た。


そのお父さんが

心臓発作を起こし この春 突然 亡くなられた。

まだ 50代のはじめ だった。



”格安チケットだったから 何度か乗り換えもあって

ベニスまで 飛ぶのに 15時間はかかったかな、、。

そこから 車で 3時間ぐらいの所に住んでたのよ”



お休みを 3日間 とって 

  お父さんの お葬式に 行って来た彼女が話していた。


この夏 彼女には 二人目の男の子が 産まれる。


美しい国 クロアチア

いつか この目で見てみたい事だ。





明日は友人のお嬢さんの 1歳のバースデーケーキ の注文があり


仕事が早いので これで、、、

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