ミドルスクールに7年間勤めたニックママ(娘2)は、この秋から街の小学校で教えるようになった。
彼女がミドルスクールで教えていた時から 恵まれない生徒にクリスマスギフトを用意するのを楽しんだ私が
”貴方のクラスで恵まれない生徒がいたら教えてね。” と 伝えると
衣服が必要な2人の生徒がいると教えてくれた。
衣服と聞き自分の子供時代を思い出した私は、まるでその頃の自分にプレゼントでもするかのようにオンラインショッピングを楽しんだ。笑
子供時代、高知市で祖母とふたり暮らしをしていた私が新しい服を買ってもらったのは、小学校に入学した時と好きだった男の子の家にクラスメイト数人が集まる事になった中学時代の2回だ。
50年以上も前の事なのに それらをどの店で買ったかも覚えているのは、よっぽど嬉しかったんだろうねぇ。 笑
その他は親戚の子のお古や伯母が縫ってくれた服を着ていた。
それに対して何の不満もなかったのだけど、思い出す事が一つある。
小学5、6年の時 仲良くしていた友人トト子は、他県から転入して来た女の子だった。
ある日トト子のお母さんが何枚かの体操服を私にくださった。
その体操服はトト子が前の学校で着ていたもので その学校の校章が胸元についており トト子のお母さんは、わざわざ私の為に校章がある部分に白い布を縫い付け、ポケットを作って下さってもいた。
自分の体操服は持っていたので、なぜ何枚もの体操服を下さるのか 不思議にも思った私は 後になってその理由を知った。
子供だった私は気づかなかったけど、私が着ていた体操服は白くなく全体が黄ばんでいたからのようだった。 苦笑
そうやって周りの人達にたくさんの親切を頂いて私は育った。
そんな昔を思い出していると 有り難い想いでジワンとしてくる。
ニックママに生徒のサイズや好みを聞き、Kohl’sのセールを利用して幾つか衣服をオーダーしたら 数日後、それらが送られて来た。
写真はけいちゃんが描いた絵
ピアノもオーケストラも辞めてしまったけいちゃんは絵を習い始めた。
ぽちっとね
けいちゃんってアートの才能ありますよね。
私は小学校までは従姉のお下がりで新しいのは学校の体操着くらいでした。
中学から制服だったので、お下がりはなくなりましたが、新しい洋服を買ってもらったのは、そのお下がりをくれてた従姉の母親である叔母からしかなかったです。
私は苦労していないですが周りの方たちに親切にしていただきました。
この日アイオワの家に寄ったらけいちゃんが大きなスケッチブックを見せてくれ 彼女の絵に驚き写真を撮りました。
指導していただいているので描けたんでしょうが。
*ツヨシさんへ
本当にお母様の仰るとおりです。
成長期の子供が長く着られるように出来たデザインの服が作られるといいですね そして環境を壊さない素材も使って、、。
アフリカの子どもたちに成長にそってサイズがかえられるサンダルをデザインした方の話を思い出します。
*姥桜さんへ
そういえば 毛糸のセーターはまた糸をほどし使っていましたよね。
暮らしが豊かになると同時に自然は壊され私達人間の心も大切なものを失っていそうでもありますね。
そのトト子のお母さんがそれは素敵な方で理想の母親像でした。
*Reeさんへ
叔母様から服を買ってもらったときは嬉しかったでしょうね。 Reeさんもたくさんの親切の中で成長されたんですね。
けいちゃんには何かが必要に思うのでこうして絵を習うことが出来 私も嬉しいです
楽器は楽しめなかったようですが 絵は楽しんでいるようで何よりです
高校1年の夏休みにクラス皆でキャンプに行く計画がありましたが、着て行く服👕がなく行きませんでした
西町に住んでいた頃は、兄の大学進学のことで母の頭は精一杯だったと思います。兄弟は、いらんわと思ったことでした。弟は、かわいかったけどね
お兄様は優秀な人でしたよね。
大学に受かった知らせを家まで来てしてくれたときの表情が今も記憶に残っています。
キャンプ 残念でしたね。
暑い夏休みも扇風機で、勉強ばかりしていました。祖父は、兄の中学合格も何日かの違いで知らずに逝ってしまいました。その点、祖母は大学合格まで知り逝ったので良かったですね
でも、一流大学を卒業しても、優しさも少しはあったらいいと思うけど
祖母が話していましたが浪人出来ないので東大を諦め受けたのに結果に自信がなく本人発表まで気持ちが落ちていた、、、と
それもあってか 子供だった私にもあのときの嬉しそうな顔が忘れられません。
お元気にされているようで何よりです。
そう言えば私が高校時代に帰郷されていた時お小遣いを下さいました。
それが最後に会った時だったかなぁ