日々の覚書

MFCオーナーのブログ

想い出のアルバム-COMMON THREAD

2010年02月03日 23時17分21秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Commonthread

コモン・スレッド~ソングス・オブ・イーグルス(1993)

1.テイク・イット・イージー/トラヴィス・トリット
2.ピースフル・イージー・フィーリング/リトル・テキサス
3.ならず者/クリント・ブラック
4.ハートエイク・トゥナイト/ジョン・アンダーソン
5.テキーラ・サンライズ/アラン・ジャクソン
6.テイク・イット・トゥー・ザ・リミット/スージー・ボガス
7.言いだせなくて/ヴィンス・ギル
8.いつわりの瞳/ダイアモンド・リオ
9.ニュー・キッド・イン・タウン/トリーシャ・イヤーウッド

10.サタデイ・ナイト/ビリー・ディーン
11.過ぎた事/タニヤ・タッカー
12.我が愛の至上/ブルックス&ダン
13.サッド・カフェ/ロリー・モーガン

先日、イーグルス・トリビュート・セッションを観戦した。昨年の夏に参加したセッションの第4回だ。今回は諸事情により演奏には参加せず、観戦オンリーだったりだが、それでも十分楽しめた。イーグルスって、自分で演るより人の演奏を聴いてる方が楽しいかも(笑)

セッションそのものは、演奏も歌もグレードが高く、素晴らしいものだった。大好きなイーグルスの曲を生き生きとブレイする皆さんを見ていて、ふと思い出したのが、この『コモン・スレッド~ソングス・オブ・イーグルス』だ。イークルスのコピー(カバー)ではあるのだが、やはりオリジナルとは印象が異なり、新たな発見がある、という点で共通している。

この『コモン・スレッド』だが、参加しているのはカントリー畑のミュージシャンたちであり、選曲もいかにもそれっぽい。「ホテル・カリフォルニア」「呪われた夜」「魔女のささやき」といった、シリアスというか雰囲気暗い曲がないのである。個人的には、イーグルスはカントリー系の曲が好きなので、明るく軽やかでほのぼのとした曲で占められたこのアルバム、曲目を見ただけでもそそらるものがあった。

で、実際に聴いてみると、これがまた実に良いのである。前述したけど、アレンジもほとんど原曲のままだし、細かいフレージングの違いはあれど、ほんとコピーみたいなものだ。しかし、オリジナルをそのままコピーしているようでも、何か雰囲気が違う。洗練された雰囲気を感じる本家と比べ、どこか荒っぽい感じがするが、本家よりずっと明るく穏やかな印象を受ける。イーグルスの場合、「テイク・イット・イージー」の対極に「ホテル・カリフォルニア」があり、どちらもイーグルスに他ならないのだが、後者の持つ“重さ”が前者に乗り移ってしまい、結果として、どの曲もミョーにシリアスに聴こえてしまう、というのが特に後期に感じられたが、この『コモン・スレッド』で聴ける「テイク・イット・イージー」には、そういうシリアスさはない。これこそイーグルスの本質なのだ、と主張しているかのようだ。オリジナルでは、グレン・フライがリードボーカルを担当していた曲が多いのも、何やら象徴的だったりして(笑)

収められたイーグルス・カバーは、どれもカントリーやフォークの雰囲気が強い。カントリー系のアーティストばかりだから、当然といえば当然だが。また、前述したように、なんとなく荒っぽい感じがするのだが、それはドラムの音が前面に出ている事にもよるのだろう。本家は、ドラムは抑え気味だったから、このアルバムのように、ドラムを強調すると聴きなれた曲も印象が変わる。その点でも、新鮮に聴けた。大好きな曲ばかりだし(笑)。今でも、よく聴いてる。

参加アーティストの中で、当時名前を知ってたのは、ヴィンス・ギルとジョン・アンダーソン(もちろん、イエスの人ではない)とタニヤ・タッカー(ハロー・ミスター・サンシャイン!)くらいだったけど、そんな事は気にならずに聴けた。女性が歌うイーグルス・ナンバーもいいものだ。一番気に入ったのは、トリーシャ・イヤーウッドによる「ニュー・キッド・イン・タウン」で、後に彼女のアルバムも買ってしまったくらい(笑)。なかなか美人で、90年代のリンダ・ロンシュタット、なんていわれていたような(笑)

この『コモン・スレッド』はベストセラーとなり、それがきっかけとなって、イーグルス再結成の話が持ち上がった、というのは有名な話だけど、イーグルスのカントリーテイストが強く打ち出されているだけに、アメリカ人がイーグルスに何を求めていたのか、なんて事まで、そこはかとなく想像できてしまう好盤である。90年代前半は、やたらと大物アーティストのトリビュート・アルバムが発売されたけど、その中でも代表的な一枚と言っていいと思う。

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想い出のアルバム-INTUITION

2009年12月05日 14時02分29秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Tnt

インテュイション/TNT(1989)

1.ア・ネイション・フリー
2.コート・ビトウィーン・ザ・タイガー
3.トゥナイト・アイム・フォーリング
4.エンド・オブ・ザ・ライン
5.インテュイション
6.フォーエバー・シャイン・オン
7.ラーン・トゥー・ラブ
8.オーディナリー・ラバー
9.テイク・ミー・ダウン(フォールン・エンジェル)
10.ウィスダム

就職した時、同期入社にメタラーがいた。彼はBURRN!の熱心な読者であり、そっち方面の知識は豊富だった(笑) “様式美”とか“拡散美”とかいう言葉を知ったのも、メタリカやメガデスの名前を聞いたのも、全て彼を通じてだった。ま、丁度いい機会でもあり、今まで聴いた事なかったHR/HM系を、あれこれと聴かせて貰ったが、そんな中で気に入ったのがTNTだった。

TNTと言っても知らない人も多いだろう。ノルウェーのバンドで、1983年にデビューしたそうな。僕が例のメタラーから最初に聴かせて貰ったのは、1984年の2nd『ナイツ・オブ・ニュー・サンダー』だった。実にオーソドックスなスタイルのハードロックで、1曲目の「セブン・シーズ」やラストのタイトル曲にも顕著な、メロディアスな曲調とドラマチックな展開もツボだった。テンションの高い曲が並ぶA面と比べ、B面になると気の抜けたような曲が続くのもご愛敬で(笑)、良くも悪くもB級の香りがするのもよかった。後追いだったけど、僕にとってTNTは注目のバンドとなったのである。

続く3rd『テル・ノー・テイルズ』(1987年)で、TNTはポップな作風に路線変更する。アメリカ進出を視野に入れていたのだろう。元々曲作りに長けたバンドだったこともあり、前作にあった重厚さは消え、スピード感に溢れたキャッチーな曲が並ぶアルバムとなった。とはいえ、すっかりアメリカンになってしまった訳ではなく、どことなく北欧のバンドらしい叙情性を感じさせたりもして、そこがまた良かった。よく聴いてたなぁ。

そして、1989年に発表されたのが、この『インテュイション』である。前作でのポップな方向性をさらに推し進めた本作は、見事に構築されたサウンドも併せ、実に完成度が高い。TNTの代表作と言ってもいいのではないか。アメリカをターゲットにしたメロディックなハードロック路線は、本作でひとつの到達点に達した。

この頃、日本ではTNTは結構人気あったと思う。1989年の8月に彼らは初来日公演を行っており、実は僕も見に行ったのだが(笑)、渋谷公会堂はほぼ満員だった。PVもちょいちょい見かけたし。

収録曲は、どれも粒よりだが、僕にとって忘れる事の出来ない名曲が「トゥナイト・アイム・フォーリング」である。キャッチーでありながら、そこはかとなく哀愁を漂わせ、これでもかと琴線に触れてくるメロディは秀逸の一言。心の中に眠っていたものを呼び覚まし、聴く度に切なくなってくる叙情性、もうたまらんのである(笑) 青春のメロディと言ってもいいのではなかろうか。10代の頃、この曲を聴いて洋楽に目覚めた人もいると思うが、その人たちにとっては、耳にするたび、昔を思い出して感傷に浸ってしまうような曲であるに違いない。僕ですら、今でも「トゥナイト・アイム・フォーリング」を聴くと、1989年の夏をやや感傷的に思い出してしまうくらいなんだから、その時の僕より、ずっと若く感受性も豊かな年代の人たちが、感傷的にならない訳がない。丁度、僕が「ボヘミアン・ラプソディ」を聴くたびに感傷的になるのと同じように。しかも、バラードではないのが、またいいのだ(笑)

多分、TNTでは、このアルバムを一番よく聴いたと思う。当時のハードロック系には珍しく、バラード系が少なく、アルバム全体が適度な疾走感に溢れていて、車の中で聴くには最適だった。やや固いとはいえ、ハイトーンのボーカルも爽やかだったし(笑)。産業系に近い感触もあった。同じ北欧のヨーロッパほど、ベタな売れ筋ではないけど(笑)

しかし、残念ながら、この後TNTは失速し、数年後に解散してしまう。僕は『インテュイション』以後のTNTのアルバムを聴いてないので、何とも言えないのだが、やはりアメリカで売れなかったのが影響したらしい。惜しいなぁ。いくらメロディアスでポップと言っても、下世話でないハードロックなんて、やはりアメリカでウケないのだろうか。確かに、破綻がなく、キレイにまとまり過ぎ、という感じもしなくはない。ただ、センスもテクもあると思うけど、ソロになると突如ブッ飛んだフレーズを繰り出すギターは、相当破綻してるんじゃないかと(笑)

ま、そんな訳で、最近ふと思い立って、この『インテュイション』をBOOK OFFで買ったのである。コーナーが作られるほど、TNTのCDはたくさん並んでいた。中古屋にたくさん並んでいる、という事は、昔売れたという事だ。やっぱり、それなりに人気あったんだな。彼らは、解散と再結成を繰り返しながら、今も現役だという話だ。興味があったら聴いてみて(笑)

とにかく、「トゥナイト・アイム・フォーリング」は名曲なのである。いや、他の曲もいいけどね。タイトル曲とか「フォーエバー・シャイン・オン」とか「テイク・ミー・ダウン」とか。同感という人が一体どれくらいいるのか分からないけど(笑)

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想い出のアルバム-HOME IS WHERE THE HEART IS

2009年05月24日 12時27分41秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Davidcassidy

青春の館/デビッド・キャシディ(1976)

1.ぼくは燃えている
2.これが恋でなかったら
3.ジャニュアリー
4.フール・イン・ラブ
5.トゥモロー
6.青春は悲しみ
7.恋のかくれんぼ
8.心のさびしさ
9.グッバイ・ブルース
10.ベッド・タイム

一応、これを読んでいる若い人たち(笑)のために説明させて頂くと、デビッド・キャシディは70年代初頭、人気テレビシリーズ『パートリッジ・ファミリー』に出演してアイドルとして大人気だった人である。『パートリッジ・ファミリー』出演中から、ソロ歌手としても活躍していた。やはりアイドルとして、70年代後半に人気を博したショーン・キャシディは実の弟である。ちなみに、この『パートリッジ・ファミリー』、日本でも放送されており、僕もよく見ていた記憶があるのだが、内容はほとんど覚えていない(笑)

『パートリッジ・ファミリー』終了後、デビッドはRCAとレコーディング契約を結び、1975年から76年にかけて、3枚のアルバムを発表する。今回紹介する『青春の館』は、その3枚のうちの2枚目だ。ちなみに、RCAとの契約は、金は出すけど口は出さない、プロモーションの為のツアー等はやらなくていい、等デビッドにとっては実においしい内容であったらしい。

という訳で、デビッドはブルース・ジョンストンを共同プロデューサーに迎え、好き放題(笑)にアルバム制作に取りかかったのであるが、実際発表されたアルバムは、実にグレードの高いポップ・アルバムだった。最初のアルバムにジョンストン作の『歌の贈り物』が収録されているのも、ポイント高い。この曲、翌1976年バリー・マニロウが歌って全米No.1となり、グラミー賞(ソング・オブ・ザ・イヤー)まで獲った名曲であるが、それより前にデビッドがヒットさせていたのだ。バリー・マニロウは、デビッドのバージョンを聴いて、この曲を取り上げたというのは、その筋では結構有名な話。

この『青春の館』は、ブルース・ジョンストンとタッグを組んでの2作目で、これまた素晴らしい出来栄えである。なんたって曲が良い。デビッドのオリジナルでは、一曲目の「僕は燃えている」でしょうね、やっぱり。アップテンポの、血湧き肉踊る名曲である。イントロのアコギのカッテイングから歌になだれ込んでいくあたりで、既にこの曲のとりこになってしまう。♪あもんぱや、と一緒に歌ったもんです(笑) シングルになった「トゥモロー」は、なんとポール・マッカートニーの曲だ。『ワイルド・ライフ』に収録されているそうだが、残念ながら僕は本家のバージョンは聴いた事ない^^; が、デビッドが力強く歌う「トゥモロー」実に素晴らしい。分かりやすく格調高いメロディも、途中で雰囲気の変わる構成も、いかにもポール・マッカートニーという感じで、こんなに良い曲なのに、何故世間に知られてないのか、当時から不思議だったくらい(笑)。

他にも良い曲目白押しで、当時FMで小出しにかかるのを、一所懸命録音していたのを思い出す(笑)。あの頃、日本ではデビッド・キャシディはかなり人気あり、FMでよくかかってたし、『ポップス・ベスト10』の常連でもあった。カーペンターズやベイ・シティ・ローラーズと1位争いをしてたのだ。今となっては、とても信じられないが^^; ほんと、この頃『青春の館』欲しかったです。買えなかったけど(笑) 当時の僕にとって、デビッド・キャシディは、クイーン、キッス、スイートあたりと全く同列だった。

当時、ミュージック・ライフをはじめとする音楽誌では、“アーティストとアイドルの境界線はどこか?”なんて特集をよくやってた記憶がある。そういう特集で、必ず俎上に乗せられるのが、クイーンとデビッド・キャシディだった。両者とも、当時の人気は音楽性よりルックス先行であったのは否定出来ない所で、そこを捉えてアーティストではない、と断定する評論家もいたし、見た目に惑わされてはいけない、中味で評価するなら彼らは立派なアーティストだ、と主張する人もいた。ルックスが良いとアーティストとしては認められないのなら、当の本人からすると、じゃどうすりゃいいんだ、ってな所だろうね。認められるために顔を潰すわけにもいかないし(笑)

ただ、この当時、デビッド・キャシディが単なるアイドル歌手から脱皮して、本格的なミュージシャンとしての評価を得ようとしていたのは事実だと思う。ブルース・ジョンストンと組んだのも、ウィリー・ウィークス、ラス・カンケルといった一流セッションマンを呼んだのも、全てはグレードの高いレコードを作る為だ。その成果が、『青春の館』を含むRCAでのアルバムたちなのだが、グレードの高いレコードは作ったものの、日本とイギリス以外では売れなかったらしく、彼はミュージシャンとしての正当な評価を受けることは出来なかった。ま、たとえアメリカで売れたとしても、アメリカ人は“天は二物を与えず”という格言を頭から信じ込んでいる国民なので(笑)、正当な評価を受ける事が出来たかどうかは疑わしい。

僕としては、当時はともかく、今となっては、デビッド・キャシディがアイドルだろうとなんだろうと、どうでもいい。ただ、彼が素晴らしい作品を残したのは事実なのに、後の世代に知られる事もなく、長い年月が過ぎてしまったのが非常に残念である。実際、『青春の館』をはじめとするRCA時代のアルバムは、単体では21世紀になるまでCD化されなかった。LPですら、その後再発された、という話も聞いてない。1996年に、RCAでの3枚のアルバムからセレクトした『When I'm A Rock'n'Roll Star : The David Cassidy Collection』という編集盤が出たので、かろうじてそこで聴けただけだ。でも、この編集盤は貴重だったなぁ(笑) 『青春の館』からは6曲収録されており、個人的にはずせない「僕は燃えている」「トゥモロー」が聴けるのは嬉しかったけど、「恋のかくれんぼ」とかは未収録だったし、やはりアルバムとしてちゃんと聴きたい、とずっと思っていた。

しかし、ついにその願いが叶うときが来た(笑) 今年になって、RCA時代の3枚がCD化されたのだ。しかも、3枚のうち2枚(『青春の館』と次作の『恋の大通り』)は、世界初CD化だそうで、正に“ついに”という言葉がふさわしい(笑) リマスターではなさそうだし、ボーナストラックもないが、それでもCD化されて、今またデビッド・キャシディのアルバムを聴く事が出来るのだ。長生きはするものである(爆)

とまぁ、手放しで喜ぶべきなのだが、ちと問題がある。それは...

 

 

 

 

 

紙ジャケなんだよね...(-_-#)

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想い出のアルバム-OFF COURSE LIVE

2009年05月05日 23時02分04秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Offcourselive

Live/オフコース(1980)

Disc1
1.愛を止めないで
2.Run Away
3.恋を抱きしめよう
4.雨の降る日に
5.思いのままに
6.風に吹かれて
7.汐風の中で
8.失恋のすすめ

9.老人のつぶやき
10.さわやかな朝を迎えるために
11.Chili's Song
Disc2
1.歴史は夜つくられる

2.君を待つ渚
3.SAVE THE LOVE
4.生まれ来る子供たちのために
5.さよなら
6.のがすなチャンスを
7.愛を止めないで
8.僕の贈り物

先日、RCサクセションの事を書いたが、RCと言えば、忘れてならないのがオフコースである。ま、別に深い意味はなく、この2バンドを同時期によく聴いてた、というだけなんだけど(笑)

とはいえ、この2バンド、フォーク寄りのグループとしてデビューしエレキ化(バンド化)してからブレイクしたこと、メジャーになるまでデビューから10年近くかかっていること、といった共通項もある。僕からすると、ライブでの演奏力の高さ、リアルな歌詞、いった点でも共通するバンドだ。ついでに言うと、世間では、RCサクセション=忌野清志郎がいたバンド、オフコース=小田和正のいたバンド、という捉え方をされている点でも共通している。

オフコースは、1969年のヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト全国大会で第二位となり(ちなみに、この時の一位は赤い鳥だったそうな)、翌1970年にデビューした。当時は3人組だったが、2年後に小田和正と鈴木康博の2人となり、この双頭体制は10年間続く。1979年には5人組となり、その年の12月に発売した「さよなら」が大ヒットして、人気バンドにのし上がった。今思い出しても、凄まじい人気だったとしか言いようがない。当時の武道館連続公演の記録を作り、NHKでレコーディングの模様をとらえたドキュメンタリーまで放送されたくらいで、正に社会現象。そういえば、僕の妹も当時オフコースのファンだった(笑) その後、鈴木が脱退し、4人組となって活動を続けるが、1989年に解散。理由はメンバー間での金銭トラブルと言われている。

僕が、オフコースを聴くようになったのは、友人がやってたオフコースのコピバンのヘルプを頼まれたのがきっかけだ。1981年の春頃だったか、そのバンドのドラマーがケガをしてライブが出来なくなったので、代打を頼まれた訳だが、その時初めてちゃんとオフコースを聴いた。正直言うと、女子供がキャーキャー言ってるだけの軟弱なバンドに違いない、とややバカにしていたのだが、渡されたテープを聴いて、その認識が誤っていた事を悟った。彼らは、立派なロックバンドだったのだ。

その事をきっかけに、僕はオフコースに興味を持ち、あちこちからLPを借りて聴きまくった。もちろん、妹にも何枚か聴かせて貰った(笑)。彼らが80年代前半に出したアルバムは一通り聴いたが、一番よく聴いてたのは、おそらくこの『Live』だろう。LPでは2枚組だった。

いや、とにかく、優れたライブ盤である。なんといっても、演奏が見事。当時人気だったTOTOやエアプレイといったバンドに影響されたと思われる、タイトなAOR風の音を聴かせている。5人(4人?)でコーラスもバッチリ決めてるのも素晴らしい。もちろん、ライブならではのノリも十分。ヒット曲だけでなく、ライブをメインとした選曲がされているのもよろしい。アコースティック・セットやドラムソロも入れて、バラエティ豊かな構成になっているのもナイス。演奏レベルも臨場感も選曲も文句なし、RCの『Rhapsody』に勝るとも劣らない素晴らしいライブ盤なんである。

オフコースと言えば、小田と鈴木の双頭バンドであるのは、知る人ぞ知る事実であり、アルバムなども2人の曲が半々、という構成になっているのだが、シングルになるのは小田の曲がほとんどだった為(小田A面、鈴木B面というケースが多かった)、一般的には、前述したように“オフコース=小田和正”というイメージが強い。しかし、実際には2人の似てるようで実は異なる感性のバランスの上にオフコースは成り立っていたのであり、それはベスト盤やシングル・コレクションを聴いてるだけでは分からない。特にライブである。小田の曲に比べると、ギターをアレンジの中心に据える鈴木の曲はロック的であり、ライブ向きでもある。この『Live』でも、「Run Away」「恋を抱きしめよう」「歴史は夜作られる」「SAVE THE LOVE」「のがすなチャンスを」あたりは鈴木の曲であり、ロック的ノリと緻密な演奏は、間違いなくライブのハイライトになっている。特に「SAVE THE LOVE」、なんと7分を越す大曲であり、凝った曲構成にドラマティックな展開、ギターソロもふんだんに聴けて、これがあのオフコースなのか、と驚く人もいるだろう。鈴木は、次作『We are』でも「一億の夜を越えて」という、これまたカッコいい曲を書き、ライブでも盛り上がる曲となっている。こういう鈴木によるロックバンド的側面があるからこそ、小田の曲も生きるのだ。全編小田の曲だけでは、最後まで聴いてられないかも(実際、末期オフコースがそうだった)。

そういった、小田と鈴木のバランスが程よく取れていた時期であり、またオフコース自体もブレイクしてノリにノッていた頃のライブ音源な訳で、悪かろうはずがないのである。この後、人気絶頂の1982年に鈴木は脱退するが、やはり小田とのバランスが崩れ始めていたのだろう。脱退後の鈴木のソロ作品など聴くと、特にオフコース時代と音楽性が変化した様子はなかったので、単にもっとギター弾きたい、という理由だったりして(笑)

確かに、ちゃんと聴いてみるまでは、僕もオフコースを軟弱と決めてかかていたが、よく聴けばそうではない、というのは分かる。前述したが、バンド化してからのオフコースは、AOR的な音を志向していたし、それはビル・シュニーにミックスを任せたことでも明らかだ。ま、AORという時点で軟弱だ、という人もいるだろうが(笑)、オフコースはしっかりとしたポリシーのもと、レコードを作っていたのは間違いない。少なくとも、姿勢の上では軟弱なんかではないのだ。もちろん、出来上がった作品も。

オフコース、特に小田の曲は女々しいから嫌い、と言う人も当時は多かった。そうかもしれない。けど、男だって本音の部分では、十分女々しいのだ。それを隠したり、取り繕ったりせず、小田はストレートに表現していただけの話であって、逆に言えば、これ以上リアルなものはない。男は人前で泣いちゃいかん、というのは単に個人のポリシーに過ぎず(笑)、男の本音をさらけ出した小田の歌詞は、実にリアルなのであり、男だって共感するのである。このあたり、忌野清志郎にも通じるものがあるように、僕は感じていた。女々しい云々ではなく、本音をさらけだす、という点に於いてだけど。

オフコース=小田和正、というイメージは、ソロ転向後の小田と鈴木の活動の差によるものも大きいかもしれない。しかし、それは間違った認識と思うので、オフコース=小田和正、だと今まで思ってた人、その認識を改めるためにも、是非この『Live』聴いて頂きたい。

そういえば、小田と鈴木、それぞれがオフコース時代の曲をリメイクしたアルバムを出してたなぁ。機会があったら聴いてみたいものだ。出来れば、2枚続けて聴きたいな(笑)

あ、ここで、参考までに、前述の僕が代打で参加したオフコースのコピバンが演奏していた曲はというと

SAVE THE LOVE
さよなら
思いのままに
のがすなチャンスを
Yes-No

その時の演奏を録音したカセットのレーベルを見ると、こうなってる。5曲だっけ、意外と少ないな。ドラムソロもやりましたです、はい(笑) あ、もちろん、今となっては、恥ずかしくて聴けないっす(爆)

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想い出のアルバム-RHAPSODY

2009年05月03日 23時56分13秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Rhapsody

Rhapsody/RCサクセション(1980)

1.よォーこそ
2.エネルギーOhエネルギー
3.ラプソディ
4.ボスしけてるぜ
5.エンジェル
6.ブン・ブン・ブン
7.雨あがりの夜空に
8.上を向いて歩こう
9.キモちE

忌野清志郎が逝ってしまった。

癌治療中というのは聞いてた。去年あたりに復帰してコンサートを開いた、という話も聞いたので、癌を克服したのかと思ってた。けど、転移してるのが見つかり、放射線治療などを受けていたらしい。そして、彼は力尽き帰らぬ人となってしまった。享年58歳。慎んで、ご冥福をお祈り致します。

正直言うと、清志郎或いはRCサクセション(以下RC)のファンだった訳ではない。けど、訃報を聞いた時のショックは大きかった。なんとなく、清志郎が死ぬはずない、みたいに思っていたのだ。根拠はないけど。メディアでは、「日本ロック界の大きな損失」とか「日本ロックの牽引者逝く」みたいな報道をしてるけど、そういう意味ではなく、ただ単に忌野清志郎が死んだ、それだけがショックである。身内が死んでしまった感覚に近いような気がする。

特にファンではない、と書いたけど、一時期RCをよく聴いてた。年代で言うと、1981年から83年くらい。高校3年の頃だったか、友人がRCにハマっており、何度か聴かされるうちに、気に入ってしまったのだ。その頃、よく聴かされたというか、よく聴いてたのが、このライブ盤『Rhapsody』である。

色々な点で衝撃的なライブ盤だった。まず、なんといっても、清志郎である。その独特な声と歌いっぷりには、惹きつけられるものがあった。どう表現したらいいのだろう、ロックのリズムに乗りにくいような言葉でも、彼が歌うと不思議にフィットした。歌うというより、語ってるような感じもしたが、佐野元春や桑田佳祐、或いは久保田利伸といった人たちとは、日本語の乗せ方が違うというか、決してリズミカルでも流暢でもなく、固さが残るようなリズムに少し遅れてるような、でも結果的に、言いにくい事でも、すんなりと歌ってしまえるというか、なんてことない言葉が、凄くリアルに聞こえるというか、そんな歌い方をするのは清志郎だけだった。唯一無比とは、正にこのこと。

バンドの演奏力も凄い。ロックンロールバンド、と自称していたようだが、RCがやってたのは、いわゆるロックンロールではない。もちろん、ブルースでもハードロックでもパンクでもない。独特のノリを持つロックとしか言いようのない、日本には珍しかったタイプと思う。少なくとも僕は、それまでRCみたいな音を出すバンドを知らなかった。こういう音楽で、ここまで凄いノリで聴かせるバンド、なんてのも未経験だった。清志郎のボーカルと合わせ、日本にもこんなバンドがいた、というのが、とにかくショッキングだったのである。

オープニングの「よォーこそ」を初めて聴いた時もブッ飛んだ。観客への挨拶、バンド及びメンバー紹介を曲にしてしまった、というのが凄い。名刺代わりというか、名刺そのもの(笑)。欧米のバンドだと、たとえばチープ・トリックなども、コンサートのオープニングで挨拶の曲なんかやってたけど、「よォーこそ」はもっと徹底している。しかもマジだ。これは、当時も今もRCにしか出来ない芸当だろう。いやほんと、凄い発想だ。

ま、とにかく、熱いライブ盤である。日本のロック史に残る名盤と言っていい。

RCというか清志郎は、ヤバい歌詞の曲を歌って、放送禁止等の騒ぎを起こしてきたが、このライブにも収録されている「ボスしけてるぜ」も、有線放送で放送禁止になったらしい。後のサマータイム・ブルースや君が代の騒ぎもあったけど、反社会的な姿勢とか政治的メッセージの発信とかいうレベルではなく、ほんとに一般庶民のボヤキみたいな感じで、問題提起をしつつもシャレの範囲内で収めてるというか、そこいらのスタンスがまたビミョーで、そういう点でも共感できるバンドであった。

後の、1981年に出た『Blue』というアルバム収録の「あの娘のレター」という曲で、歌詞の一部が消されており■■■この部分、職業差別用語に繊細な感受性をお持ちの方々の御意向を汲みまして、レコードでは割愛させていただきました。なお、ライブでは勝手に使わせていただきますので、御不満のお残りの方は、コンサートに来てお楽しみ下さい(原文のママ)」というコメントが印刷されている。RCらしいという感じ(笑)。ちなみに、この■■■の部分は「ポリ公」なんだそうな。

この『Blue』もよく聴いてた。後年CDも買ったくらい。なかなか骨太なサウンドで録音されており、ライブっぽい感触がある。曲もいい。RCを一枚聴くなら、『Rhapsody』か『Blue』をお薦めする。

あれこれ騒ぎも起こしたし、亡くなってしまったこともあって、忌野清志郎(RCサクセション)は、今後反骨のロッカーみたいな感じで神格化されてしまいそうな気もするが、実は純粋に音楽(ロック)が好きなだけだったのではないか、と思う。『Rhapsody』なんて聴いてると、余計にそう感じたりする。本当に惜しい人を失ったものだ。

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