9月も終わりに近づき、プロ野球も大詰めである。当然、当ブログもスポーツネタが多くなる(笑) 過去の例を見ても、秋口はスポーツネタが多い。これ、ホント(笑)
セ・リーグはCS(クライマックス・シリーズ)争いに、阪神・巨人・中日の3チームが1ゲーム差でしのぎを削っている。優勝争い、と言えないのが実に残念だが(笑) パ・リーグでは、日本ハムがCS進出を決めた。相変わらず納得のいかないCSだが(爆)、ま、それなりに白熱してるのは、見ていて楽しい。
その反面、ぼちぼち選手の引退などがニュースになる時期でもある。昨日、ヤクルトの古田敦也監督が、辞任を表明した。気がつけば、今期のヤクルトは最下位が決定的、もしこのままシーズンが終わると、なんと21年ぶりの最下位なんだそうな。そりゃ、監督としては責任を取って辞任するのも当然だけど、プロ野球選手として、捕手として、そして選手会長として、大きな成功を収め、実績も残し、評価も人気も高かった古田がいなくなってしまうのは、実に淋しい。おそらく、解説者を数年やってから、どこかのチームの監督として復活するのだと思うけど、でも残念だ。仕方ない事であるのは承知してるけど。
古田は、ヤクルト入団直後から、当時の野村監督に抜擢されて一軍に定着し、オールスターにも出場した。2年目には首位打者を獲得、打てて守れるキャッチャーとして、ヤクルト黄金期の象徴と言ってもいい選手だった。捕手は下位打線が当たり前のように言われてたけど、常に中軸を打ち、2000本安打も達成した。大学・社会人を経てプロ入りした選手では、初の快挙だそうな。プレイング・マネージャーという、今では珍しい立場も経験した。オフには、テレビで喋ったり歌ったり、と意外な面も見せ、元女子アナと結婚し、間違いなく捕手のイメージを変えた選手だったろう。野球をやった事がないので分からないけど、おそらく子供たちにとって、捕手は一番人気ないポジションではないか、と思うのだが、古田の出現で捕手を希望する子供も増えたのではなかろうか、なんて思ったりもする。
古田は、目立ちたがりなのか、オールスターなどでも活躍した。確か、サイクルヒットを達成してMVPを獲った事もあるはず。記録にも記憶にもしっかりと残る、大した選手だった。いずれ監督としても実績を残すだろう。
記録といえば、我が中日の岩瀬仁紀投手が、史上初という3年連続40セーブを達成した。これも凄い記録である。ただ、こういう記録も昔よりは達成が容易になったような気がするのも否めない。いや、もちろん、岩瀬の記録が色あせる訳では、決してないのだが。
1970年代中頃から、リリーフ専門の投手が現れ始め、80年代に入ると、どのチームにもリリーフエースが存在するようになった。ただ、その頃と今とでは、リリーフ投手の使われ方が全く違う。昔は、完投目前の投手が終盤ピンチを招いて、リリーフエースに交代する、というのがよくあるパターンだった。リリーフからしてみると、9回裏2アウト満塁とか、一点差で1アウト1・3塁とか、一本ヒットが出れば(ヘタすりゃ内野ゴロでも)試合がひっくりかえる、という状況での登板が多かった訳で、精神的にもキツかっただろう。試合展開によっては、同点の場面での登板もあった訳で、長いイニングを投げる事もあった。今のように、3点差以内で、9回のアタマ、つまりランナーのいない場面での登板がほとんど、なんて楽な場面で投げる事は少なかったと思う。
なので、そんな昔の20セーブも価値ある記録だったと思う。少なくとも、今の40セーブと同等もしくはそれ以上と言ってもいいのではないか。数字だけでは分からないものがある。
もちろん、岩瀬の記録は凄いのであって、決してそれが色あせる事はないのだ(しつこい)。今後も、中日ドラゴンズのために、頑張って投げて下さい。